大岡越前守の真実行った仕事ではないとしても、あれがいわゆる大岡政談となって今日にまで伝わったということは、いかに当時の人々が、あの種の裁判を歓迎したかを明らかに証拠だてるものです。ですから、私が今これからいうところの大岡越前守は、実は大岡政談に現われた大岡越前守を指すのであって、それが歴史的真実と合致するや否やは毫も私の意としないところです。
大岡越前守の裁判は、なにゆえに人情の機微をうがった名裁判だといわれるのであろうか。一言にしていうと、それは「嘘」を上手につきえたためだ、と私は答えたいと思います。嘘は善いことだとか、悪いことだとかいう論はしばらく別として、大岡越前守が嘘つきの名人であったことは事実です。そうして上手に嘘をつきえてほめられた人です。大岡政談を読んでごらんなさい。当時の法律は、いかにも厳格な動きのとれないやかましいものであった。それをピシピシ厳格に適用すれば、万人を戦慄せしめるに足るだけの法律であった。しかも当時の裁判官はお上の命令であるところの法律をみだりに伸縮して取り扱うことはできぬ。法律は動くべからざるもの、動かすべからざるものであった。この法律のもとで、人情に合致した人間味のある裁判をやることはきわめて困難な事柄です。しかも大岡越前守はそれをあえてしたのです。しかも免職にもならず、世の中の人々にも賞められながら、それをやりえたのです。
しからばどうしてそれをやりえたか。その方法は「嘘」です。当時の「法律」は厳格で動かすことができなかった。法を動かして人情に適合することは不可能であった。そこで大岡越前守は「事実」を動かすことを考えたのです。ある「事実」があったということになれば「法律上」必ずこれを罰せねばならぬ。さらばといって罰すれば人情にはずれる。その際裁判官の採りうべき唯一の手段は「嘘」です。あった「事実」をなかったといい、なかった「事実」をあったというよりほかに方法はないのです。そうして大岡越前守は実にそれを上手にやりえた人です。
しかし、これと同じ手段によって裁判の上に人間味を現わしたのは、ひとり大岡越前守のみに限るのではなく、おそらく到るところの裁判官は――むろん時代により場所によって多少程度の差こそあれ――皆ひとしく同様の手段を採るもののように思われます。例えば、ローマのごときでも、奇形児を殺した母をして殺人の罪責を免れしめ
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