を請求したければ会社の「過失」を立証せねばならぬというのが、従来の原則です。しかしタンクは爆発してすでに跡形もない今日、被害者ははたしてそんな立証ができるでしょうか。それは全く不可能であるか、または少なくともきわめて困難です。そうしてそれは自動車によってひき殺された人、貯水池の崩壊によって殺されたり財産を失ったりした人々にとってすべて全く同じことです。そこで近世の社会は従来の「過失責任主義」に対して、「無過失賠償責任」の原則を要求するに至ったのです。
立法者としては適宜にその新要求をいるべき新法令を制定すべき時がきたのです。「過失」のみが唯一の責任原因ではない。そのほかにも賠償責任の合理的原因とするに足るべき事例がある。それを基礎としてまさに新しい法律を制定すべき時が来たのです。学者も動きました。立法者も多少動きました。ドイツを初め諸国において制定された自動車責任法はその実例の一つです。けれども諸国の立法者が遅疑して進まず、またドイツの学者が紙上に無過失責任論を戦わせている間に、事実上一大躍進を遂げたものはフランスの裁判所です。
フランスの裁判所は、本来主観的であるべき「過失」の観念を客観化せしめました。これこれの場合には当然過失あるものと客観的に決めてしまって、主観的な本来の意味の過失いかんを問わなくなりました。むろん口では「過失」といっています。しかし、そのいわゆる「過失」は実は「違法」ということと大差なくなりました。かくしてドイツの学者が正面から堂々と無過失責任の理論を講究し論争している間に、フランスの裁判所は無言のうちにその同じ目的を達してしまいました。そうしてその際使われた「武器」はすなわち「嘘」です。フランスの裁判所は「嘘」を武器として新法理を樹立したのです。
同じことはわが国現在の裁判官もしばしばこれを試みます。その最も顕著な一例は、去る大正九年九月一日の大審院判決に現われた事実です。事件の大要は次のとおりである。ある人が妻子を故郷に残して渡米したが、十分に金を送ってこないので、妻は他人から二、三十円の金を借りて生計の用にあてた。しかるに貸主が返金を請求したところ、妻は「民法第一四条によると妻は夫の許可を得ずに借財をするをえないのだから」といって借財契約を取り消して返金を拒絶した。この場合民法第一七条に列挙した事由のいずれかが存するならば、妻は夫
前へ
次へ
全23ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング