う制度です。いやしくも権利侵害があった以上、そこに必ずやなんらかの損害がなければならぬ。その損害の象徴として裁判所は被害者に例えば金一銭を与えるとする。そうすれば被害者はたとえ金額は一銭でもとにかく勝訴したことになり、名目上はもちろん実利的にも訴訟費用の負担を免れるという利益がある。実際、損害の立証は立たぬ。しかし権利侵害があった以上必ず損害があったものとみなして、それを一銭という有形物の上に象徴するところがこの制度の妙味であって、「嘘」の効用のいちじるしい実例の一つです。
現在、わが国の法学者は一般に偏狭な合理主義にとらわれて「損害なければ賠償なし」という原則を絶対のものと考え、「名義上の損害賠償」のごときは英米独特の不合理な制度、とうていわが国に移すべからざるものと考えています。けれども、もしもわが国にこの制度が行われることになったならば、法律を知らぬ一般人の裁判所に対する信頼はどれだけ増大するであろうか、また不法行為法がどれだけ道徳的になるであろうか、私は切にそういう時期の至らんことを希望しているのです。しかし、それにはまず一般法学者の頭脳から偏狭な合理主義を駆逐して、もっと奥深い「合理によって合理の上に」出でる思想を植えつけねばなりません。
五
次に、欧米諸国の現行法はだいたいにおいて協議離婚を認めていません。離婚は法律で定めた一定の原因ある場合にのみ許さるべきもので、その原因が存在しない以上はたとえ夫婦相互の協議が成立しても離婚しえないことになっているのです。この点はわが国の法律と全く違ってきわめて窮屈なものです。しかし、いかな西洋でもお互いに別れ話の決まった夫婦が、そうおとなしくくっつきあってるわけがありません。いかにバイブルには「神の合わせ給える者は人これを離すべからず」と書いてあっても、お互いに別れたいものは別れたいに決まっています。そこで、夫婦の間に別れ話が決まると、お互いにしめしあわせて計画を立てた上、妻から夫に向かって離婚の訴えを起こします。裁判官が「なにゆえに?」ときく。妻は「夫は彼女を虐待せり、三度彼女を打てり」と答える。すると裁判官は被告たる夫に向かって「汝は原告妻のいう所を認むるや?」ときく。そこで、夫は「しかり」と答える。かくすることによって裁判官は欺かれて、離婚を言い渡す。もしくは事実の真相について疑念を抱きつ
前へ
次へ
全23ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング