る「蹲る」ことに対してさんざん毒づいた後に、彼は小ジェリーを連れて銀行へ御出勤になり、大小二匹の猿のように銀行の前に陣取る。当時十二歳の小猿は父親の指にいつも鉄の銹がついているのを不思議がる。
第二章 観物 銀行(の戸外)へ出勤したジェリーはまもなく裁判所行の御用を仰せつかり、ロリー氏が行っているオールド・ベーリーへ入ってゆく。このジェリーの描写や会話によって読者は諧謔作家としてのディッケンズに幾分接することが出来る。このオールド・ベーリーにおける叛逆事件の公判の場面で、この物語における二人の主要な人物――互いに容貌が酷似しているシドニー・カートンとチャールズ・ダーネー――が初めて登場する。もっとも、この章では、カートンの方は、まだ名も記されず、ただ「両手をポケットに突っ込んで」、「法廷の天井ばかり眺めている」、「仮髪を著けた今一人の紳士」として簡単に漠然と紹介されているだけであり、彼はこれから後の章に至って次第次第にその姿を大きく現して、最後のこの小説中の最大の人物となるのである。また、ダーネーの方は、フランスの間諜の嫌疑をかけられたこの叛逆事件の被告、恐しい死刑の判決を受くべきこの法廷の観物として現れ、その真の身分などはこの巻の第九章になって明かになるのである。被告席に立った冷静な態度の質素な彼の姿。二十五歳ばかりの青年紳士。その他に、いずれも名は次の章まで記されていないが、被告の弁護士ストライヴァー。証人として現れるマネット医師とマネット嬢。前の巻から五年たっているのだから、五十歳の紳士と二十二歳の令嬢である。
第三章 当外れ いよいよ被告チャールズ・ダーネーの叛逆罪の公判が始る。検事長閣下の滔々たる論告。検事側の証人ジョン・バーサッド及びロジャー・クライに対する被告の弁護士ストライヴァー氏の対質訊問。それに対するすこぶる怪しげな答弁。次に、ロリー氏と、マネット嬢と、マネット医師との証言によって、五年前に彼等が一緒にフランスからイギリスへ渡った時のこと、マネット嬢とダーネー氏とが初めて逢った時のこと、マネット医師がロンドンに居住したこと、その他が簡短に述べられる。それから、更に公判が進み、ストライヴァーが同僚弁護士であるカートンの注意によってカートンとダーネーとの容貌の酷似を利用して相手側の一証人の証言を粉砕する。次に、彼の被告に対する弁護。このバーサッドやクライというのは、実は、政府に傭われている間諜であって、フランス生れの被告に近づいて無理に交際を結び証拠を捏造してフランスの間諜として告発し、当時のフランスに対する国民的反感を利用して政府への人気を博そうとしたのであり、そういう類のことを職業にしている人間なのである。それがダーネーとカートンとの容貌の類似という思付きから失敗させられ、終日公判が続いた後に陪審官は遂に無罪放免の評決をする。死刑囚を見るつもりで集って青蠅のように騒いでいた観衆は、その当が外れて青蠅のように裁判所から去ってゆく。この章で、カートンとマネット嬢とダーネーとの三人の最初の交渉が微妙に始っている。
第四章 祝い その夜。法廷の廊下で、釈放されたばかりのダーネーを取囲んで祝いを述べるマネット、その娘リューシー、ロリー、ストライヴァー。大声の太ったストライヴァー氏が改めて紹介される。遠慮、思遣り、上品、敏感など――要するに一語で正確な訳語がないが「デリカシー」というひけめは一切持ち合せていない、三十歳を少し越している男。また、マネット医師のことはここでもこの後でもたびたび書かれるが、第三巻第十章の彼の手記に至るまでは彼の過去の経歴がはっきりわからない。確かに、彼の上にはバスティーユ牢獄の濃い影が落ちているような印象を与える。この法廷の廊下で彼はダーネーの顔に何かを認める。ただ一人壁蔭の暗いところに凭れていたカートンは、皆の後から裁判所を出て、マネットとリューシーとが貸馬車で去るのを黙々と見送った後、ぶらりと鋪道へ現れ、善良な銀行員のロリーをひやかしてから、ダーネーを誘って二人で近くの飲食店へ行く。その二人の人物の対話の場面の大写し。ダーネーが去ってからのカートンの鏡に映る姿に向っての独白。それから酔って卓子《テーブル》に突っ伏して眠ってしまう彼の上に滴り落ちる不吉な運命を暗示するような蝋燭の蝋垂れ。
第五章 豺 ストライヴァーに対して豺の役目を勤めているシドニー・カートン。彼は飲食店をその夜晩く出て、テムプルのストライヴァーの事務室へ入ってゆく。作者は少年時代に二年ばかり法律事務所の見習書記をしていたことがあり、こういう法律家などを書くことも巧みである。カートンは、ストライヴァーとシュルーズベリー学校以来の同窓生であるから、年齢もやはり同じくだいたい三十歳くらいであろう。前章からこの章へと彼の性格は次第に描かれて来る。ストライヴァーは(第二巻の終りの方である一つの小さな役割を演ずる他は)このカートンの対照に書かれているのである。徹夜して酒を飲みつつ仕事をしてから、カートンはマネット嬢のことを思って憂鬱になりながら、どんよりした陰気な夜明の戸外へ出る。周囲の沙漠。一瞬の蜃気楼。浪費されている才能を抱いて埋もれている男。印象的な場面。
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第六章 何百の人々 前章から四箇月後すなわち一七八〇年七月頃。同じくロンドン。ソホー広場附近のマネット医師一家の閑静な住居が見事に描き出される。ある日曜日の午後。そこへロリー氏が訪ねる。ドーヴァーの旅館で初対面をした例のプロス嬢との対話。それによってマネット医師のことがまた語られる。なお、プロス嬢の話にちょっと出るように、彼女にはソロモン・プロスという弟があることは、この物語の後の方の章のために記憶されなければならない。嫉妬深いプロス嬢がお嬢さんに会いに来る何百[#「何百」に傍点]の人というのは、ダーネーとカートンとであった。マネットに何か衝撃《ショック》を与えたらしいダーネーのロンドン塔の囚人の話。リューシーとダーネーとの間に交される二三の簡短な、しかし愛人同志らしい対話。その家で聞える足音の反響をいつか自分たちの生活の中へ入り込んで来る足音の反響だというリューシーの空想。それに対するカートンの言葉。夜になって襲来する雷鳴と電光と豪雨。暗示的で感銘的な場面。雨が霽れて帰る途で迎えに来たジェリーはまたロリーの言葉にぎょっとする。この章の結末の数行は、漠然たる、しかし効果的な暗示の文句である。
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第七章 都会における貴族 これから三章は場面がフランスへ移り、人物はしばらく一変するが、やがて前に出た人物も登場して加わる。前章と同じく一七八〇年の夏。フランス革命の起る九年前である。この章の前半のモンセーニュールは当時のフランスの貴族の象徴的人物であり、ここに、フランスの王政封建時代末期の支配階級の戯画が、モンセーニュールのパリーの邸宅における接見会《リセプション》の場面によって、描き上げられる。この戯画もまた実に傑れており、第一巻第五章のあのサン・タントワヌ区の画面と対照されて効果的である。この章の後半からは、そのモンセーニュールの接見会《リセプション》に出席したある侯爵が主な人物となる。例によってその人物の肖像画。彼はそこを去り馬車を駆って街々を驀進し、平民どもを蜘蛛の子のように散らし、その挙句ガスパールという男の子供を轢き殺す。その場へあの酒店の主人ドファルジュが現れる。一人の人間を殺して、金貨を一枚投げ与え、何かの品物を壊してその賠償をすませたかのようにまた馬車を駆って去る侯爵。その侯爵をただ一人きっと見つめるマダーム・ドファルジュ。それから、馬車で流れ去る仮装舞踏会のように著飾った上流人士。自分たちの穴から出てそれを眺め続ける鼠のような貧民たち。昼は夜となり、仮装舞踏会は晩餐の明るい灯火に輝き、鼠は暗い穴の中でくっつき合って眠り、万物はそれぞれの道を流れる。
第八章 田舎における貴族 窮乏し疲弊したフランスのある田舎。前章の翌々日の日没頃から夜へかけて。侯爵は彼の領地へ旅行馬車で帰って行く。穀物の乏しい田園。すべてが貧乏くさい村。貧苦に窶れた村民。その村の宿駅の前でしばらく停った侯爵は、青い帽子を持った一人の道路工夫を訊問して、脊の高い男が一人自分の旅行馬車の下にぶら下って来たことを知る。宿駅長のガベルが現れる。彼は徴税吏をも兼ねている。ガベルに命令を与えてから、侯爵はまた出発する。途で会う一人の寡婦の歎願を押し除けて、日がとっぷり暮れてから彼の館に到著する。彼は著くとすぐに、イギリスから来るはずのムシュー・シャルルが著いているかと尋ねる。
第九章 ゴルゴンの首 侯爵の館。その夜から翌朝へかけて。一目であらゆるものを石に化せしめるというゴルゴンの首が検分したかのような、何から何までが石で出来た堂々たる建物。月もなく風もない真暗なひっそりとした晩。やがて塔の中の豪奢な一室で侯爵が食卓に向っていると、侯爵の甥のシャルルが到著するが、このシャルルとは意外にも数箇月前イギリスでの叛逆事件の被告であったチャールズ・ダーネーである。挙止だけは優雅で心の冷酷な、抑圧を唯一の永続する哲学と信じている、骨の髄からの封建貴族の叔父。貴族の暴虐圧制と誅求搾取とを嫌って、財産継承の権利を抛棄し、国を去り、家名を棄てて、イギリスで働いて生活しようとする、新しい思想を奉ずる甥。この二人(殊に前者)はその会話やわずかな動作などによって驚くべく巧妙に書かれている。甥を別室へ送り出して自分の寝室で寝ようとする侯爵。その日の昼の旅行や前々日のパリーでのことの追想。それから深い夜の闇の三時間。この夜から朝へかけての叙述もまた最も傑れている部分の一つである。夏の夜は早く次第に明けかかり、遂に館でも夜がすっかり明け放れると、館の大鐘が鳴り響き、人々があわただしく駈け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、ただならぬ模様。侯爵もまた寝室で石になったのである。彼を突き刺した短刀に附いている紙片の文句によれば、ドファルジュの仲間であるジャークの一人に暗殺されたのであって、暗殺者が前日に侯爵の馬車の下にぶら下って来た脊の高い男であり、パリーで侯爵に子供を轢き殺されたガスパールであることは暗示されている。この物語の主要な人物は既に全部出揃い、読者はそれらの人物について一通りは知ったのである。
[#ここで字下げ終わり]
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[#地から2字上げ]第二巻未完。
底本:「二都物語 上巻」岩波文庫、岩波書店
1936(昭和11)年10月30日第1刷発行
1967(昭和42)年4月20日第26刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「彼奴→あいつ 恰も→あたかも 或る→ある 如何→いか・いかが 聊か→いささか 何時→いつ 一層→いっそう 今更→今さら 謂わば→いわば 所謂→いわゆる 於て→おいて 大凡→おおよそ 於ける→おける 恐らく→おそらく 己→おれ 却って→かえって 彼処→かしこ か知ら→かしら 難い→がたい 且つ→かつ 嘗て→かつて かも知れ→かもしれ 位→くらい 極く→ごく 此処→ここ 毎→ごと 悉く→ことごとく 此→この 而→しかし 然る→しかる 屡々→しばしば 暫く→しばらく 直ぐ→すぐ 頗る→すこぶる 即ち→すなわち 是非→ぜひ 其奴→そいつ・そやつ 大層→たいそう 大体→だいたい 大分→だいぶ・だいぶん 唯→ただ 但し→ただし 直ち→ただち 忽ち→たちまち 度→たび 度々→たびたび 多分→たぶん 給え→たまえ 給う→たもう (て)頂→いただ (て・で)貰→もら・もれ 何処→どこ・どっ 乃至→ないし 尚・猶→なお 尚更→なおさら 何故→なぜ に拘らず→にかかわらず 筈→はず 甚だ→はなはだ 甚し→はなはだし 程→ほ
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