――二人はその時は炉の傍に立っていた――言った。「それはいつまでたったって無駄だろうな。そう思っていてもらいたい。」
彼が嗅煙草の箱を片手にしたまま、彼の甥を静かに眺めながら立っている間、透き通るように白いその顔にあるどの細い真直な線も、残忍そうに、狡猾そうに、きっと引締められた。彼は、あたかも彼の指が短剣の鋭利な切先《きっさき》であって、それで技《わざ》も巧みに相手の体《からだ》を刺し貫きでもするかのように、もう一度甥の胸のところに手をあて、そして言った。――
「なあ、お前、わしはこれまで自分の従って来た制度を続けながら死ぬつもりじゃ。」
こう言ってしまうと、彼は嗅煙草の最後の一撮みを嗅いで、その箱をポケットに入れた。
「お前も道理のわかった人間になって、」と彼は、卓上の小さな呼鈴《ベル》を鳴らしてから、附け加えた。「お前の生れながらの運命に甘んじた方がいいのじゃが。だが、ムシュー・シャルル、お前にはもうその見込がないようじゃな。」
「この財産もフランスも私にはもうないものです。」と甥は愁然として言った。「私はその二つを抛棄します。」
「二つともお前の抛棄出来るものかな? フランスの方はそうかもしれん。が、財産は? それは言うほどの値打もないくらいのものじゃが、それでも、もうお前の勝手に出来るものか?」
「私の今申しました言葉では、私はそれをもう要求するつもりはないという意味なのです。もしその財産が明日《あす》にでもあなたから私に譲り渡されるとしましても――」
「明日《あす》そうなるということはありそうにもないという自惚《うぬぼ》れをわしは持っておるが。」
「――あるいは今から二十年後にそうなるとしましても――」
「それはまたずいぶん敬意を表したものじゃな。」と侯爵が言った。「それにしても、わしはその仮定の方が有難いのう。」
「――私はその財産を棄てて、どこか他の処で他の方法で生活します。放棄したところで大したものじゃありません。悲惨と廃墟とのごた集め以外の何でしょう!」
「ほほう!」と侯爵は、豪奢な室内をぐるりと見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しながら、言った。
「見た眼にはそれはここなどずいぶん立派です。しかし、青空の下、白日で、そのほんとうの姿で見れば、それは、浪費と、失政と、誅求と、負債と、抵当と、圧制と、飢餓と、窮乏と、困苦との、崩れかけ
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