。彼がロンドンの私の寓居へ訪ねて来ました時に。約三年か、三年半ばかり前。」
「あなたは彼があの郵船にあなたと同船した乗客に相違ないと認めることや、あるいはあなたの令嬢と彼との会話について話すことが出来ますか?」
「閣下、私にはどちらも出来ません。」
「あなたがそれをどちらも出来ないということには何か特別の理由がありますか?」
 彼は、低い声で、答えた。「あります。」
「あなたは、あなたの生国で、公判も、告発さえも受けずに、永い間の監禁を受けるという不幸な目に遭われたのですか、|マネット医師《ドクター・マネット》?」
 彼は、あらゆる人の心を動かす語調で、答えた。「永い間の監禁でした。」
「あなたは今問題になっている折に釈放されたばかりだったのですか?」
「皆が私にそう申しております。」
「その折の記憶が少しもありませんか?」
「少しも。私が監禁の身で靴造りに従事しておりましたある時――それがいつであるかということさえ私には言えないのでありますが――その時から、ここにおります可愛いい娘と一緒に自分がロンドンに暮しているのだと気がつきました時まで、私の心は白紙なのです。お恵み深い神さまが私の心の力を囘復して下された時には、娘は私とごく親しくなっておりました。しかし、どんな風にして親しくなって来たのかということを申し上げることさえ私には全く出来ないのです。それまでの経路については少しも記憶がありません。」
 検事長閣下は腰を下し、そしてその父と娘とは一緒に腰を下した。
 一つの奇妙な事柄がその次にこの事件に生じた。目下の目的は、被告が、まだ逮捕されない誰かある共犯者と共に、五年前の十一月のその金曜日の晩にドーヴァー通いの駅逓馬車に乗って出かけたが、人目をごまかすために、夜中《よなか》にある土地で馬車を降り、そこには足を留めずに、そこから約十二マイルかそれ以上も後戻りして、兵営と海軍工廠とのある処まで行き、そこで情報を蒐集した、ということを証拠立てることなのであった。で、一人の証人が呼び出されて、被告はその兵営と海軍工廠とのある町のある旅館の食堂に、誰か他の人間を待ちながら、ちょうどその必要な時刻にいた男に違いない、ということを鑑定させることになった。例の被告の弁護士はこの証人にいろいろ対質訊問★をしていたが、この証人がその時より以外のどんな機会にも被告を見たことが一度もな
前へ 次へ
全171ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ディケンズ チャールズ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング