。しかし誰か行く者がありゃ、僕も行きますよ。考えて見れば、僕は決してあの人の一番親密な友人でなかったとは云えませんよ。途で会えば、いつでも立ち停って話しをしたものですからね。や、いずれまた。」
 話手も聴手もぶらぶら歩き出した。そして、他の群へ混ってしまった。スクルージはこの人達を知っていた。で、説明を求めるために精霊の方を見遣った。
 幽霊はだんだん進んである街の中へ滑り込んだ。幽霊の指は立ち話しをしている二人の人を指した。スクルージは今の説明はこの中にあるのだろうと思って、再び耳を傾けた。
 彼はこの人達もまたよく知り抜いていた。彼等は実業家であった。大金持で、しかも非常に有力な。彼はこの人達からよく思われようと始終心掛けていた。つまり商売上の見地から見て、厳密に商売上の見地から見て、よく思われようと云うのである。
「や、今日は?」と、一人が云った。
「や、今日は?」と、片方が挨拶した。
「ところで」と、最初の男が云った。「彼奴もとうとうくたばり[#「くたばり」に傍点]ましたね、あの地獄行きがさ。ええ?」
「そうだそうですね」と、相手は返辞をした。「随分お寒いじゃありませんか、ええ?」
「聖降誕祭の季節なら、これが順当でしょう。時に貴方は氷滑りをなさいませんでしたかね。」
「いえ、いいえ。まだ他に考えることがありますからね。左様なら!」
 このほかに一語もなかった。これがこの二人の会見で、会話で、そして別れであった。
 最初スクルージは精霊が外見上こんな些細な会話に重きを置いているのにあきれかえろうとしていた。が、これには何か隠れた目算があるに違いないと気が附いたので、それは多分何であろうかとつくづく考えて見た。あの会話が元の共同者なるジェコブの死に何等かの関係があろうとはどうも想像されない、と云うのは、それは過去のことで、この精霊の領域は未来であるから。それかと云って、自分と直接関係のある人で、あの会話の当て嵌まりそうな者は一人も考えられなかった。しかし何人にそれが当て嵌まろうとも、彼自身の改心のために何か隠れた教訓が含まれていることは少しも疑われないので、彼は自分の聞いたことや見たことは一々大切に記憶えて置こうと決心した。そして、自分の影像が現われたら、特にそれに注意しようと決心した。と云うのは、彼の未来の姿の行状が自分の見失った手掛りを与えてくれるだろうし、またこれ等の謎の解決を容易にしてくれるだろうと云う期待を持っていたからである。
 彼は自分の姿を求めて、その場で四辺を見廻わした、が、自分の居馴れた片隅には他の男が立っていた。そして、時計は自分がいつもそこに出掛けている時刻を指していたけれども、玄関から流れ込んで来る群衆の中に自分に似寄った影も見えなかった。とは云え、それはさして彼を驚かさなかった。何しろ心の中に生活の一変を考え廻らしていたし、またその変化の中では新たに生れた自分の決心が実現されるものと考えてもいたし、望んでもいたからである。
 静かに黒く、精霊はその手を差し伸べたまま彼の傍に立っていた。彼が考えに沈んだ探究から眼を覚ました時、精霊の手の向き具合と自分に対するその位置から推定して、例の見えざる眼は鋭く自分を見詰めているなと思った。そう思うと、彼はぞっと身顫いが出て、ぞくぞく寒気がして来た。
 二人はその繁劇な場面を捨てて、市中の余り人にも知られない方面へ這入り込んで行った。スクルージも兼てそこの見当も、またこの好くない噂も聞いてはいたが、今までまだ一度も足を踏み入れたことはなかった。その往来は不潔で狭かった。店も住宅もみすぼらしいものであった。人々は半ば裸体で、酔払って、だらしなく、醜くかった。路地や拱門路からは、それだけの数の下肥溜めがあると同じように、疎らに家の立っている街上へ、胸の悪くなるような臭気と、塵埃と、生物とを吐き出していた。そして、その一廓全体が罪悪と汚臭と不幸とでぷんぷん臭っていた。
 このいかがわしい罪悪の巣窟の奥の方に、葺卸屋根の下に、軒の低い、廂の出張った店があって、そこでは鉄物や、古襤褸や、空壜、骨類、脂のべとべとした腸屑(わたくず)などを買入れていた。内部の床の上には、銹ついた鍵だの、釘だの、鎖だの、蝶番いだの、鑪だの、秤皿だの、分銅だの、その他あらゆる種類の鉄の廃物が山の様に積まれてあった。何人も精査することを好まないような秘密が醜い襤褸の山や、腐った脂身の塊りや、骨の墓場の中に育まれかつ隠されていた。古煉瓦で造った炭煖炉を傍にして、七十歳に近いかとも思われる白髪の悪漢が自分の売買する代物の間に坐り込んでいた。この男は一本の綱の上に懸け渡した種々雑多な襤褸布を穢《むさ》くるしい幕にして、戸外の冷たい風を防いでいた。そして、穏やかな隠居所にぬくぬく暖まりながら、呑気に烟
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