自分が直接その風を受けたのではなかった。しかしそれは明白に事実であった。と云うのは、この幽霊は全然身動きもしないで腰掛けていたけれども、その毛髪や、着物の裾や長靴の※[#「糸+遂」、27−7]が、竈から昇る熱気にでも吹かれているように、始終動いていたからである。
「この楊子は見えるだろうね?」と、スクルージは今挙げたような理由の下に、早速突撃に立ち戻りながら、また一つにはただの一秒間でもよいから、幽霊の石のような凝視を側《わき》へ逸《そ》らしたいと望みながら訊いた。
「見えるよ」と、幽霊が答えた。
「楊子の方を見ていないじゃないか」と、スクルージは云った。
「でも、見えるんだよ」と、幽霊は云った。「見ていなくてもね。」
「なるほど!」と、スクルージは答えた。「私はただこれを丸呑みにしさえすれば可いのだ。そして、一生の間自分で拵えた化物の一隊に始終いじめられてりゃ世話はないや。馬鹿々々しい、本当に馬鹿々々しいやい!」
 これを聞くと、幽霊は怖ろしい叫び声を挙げた。そして、物凄い、慄然《ぞっ》とするような物音を立てて、その鎖を揺振《ゆすぶ》ったので、スクルージは気絶してはならないと、しっかりと椅子に獅噛み着いた。しかし幽霊が室内でこんな物を巻いているのはちと暖か過ぎるとでも云うように頭からその繃帯を取り外したので、その下顎がだらりと胸に重ね落ちた時には、彼の恐怖は前よりもどんなに大きかったことであろう!
 スクルージはいきなり跪いて、顔の前に両手を合せた。
「お助け!」と彼は云った。「恐ろしい幽霊様、どうして貴方は私をお苦しめになるのだ?」
「世間の欲に眼の暮れた男よ」と、幽霊は答えた。「お前は私を信ずるかどうじゃ?」
「信じます」と、スクルージは云った。「信じないでは居られませぬ。ですが、何故幽霊が出るのですか。また何だって私の許へやって来るのですか。」
「誰しも人間というものは」と、幽霊は返答した。「自分の中にある魂が世間の同胞の間へ出て行って、あちこちとひろく旅行して廻らなければならないものだ。若しその魂が生きているうちに出て歩かなければ、死んでからそうするように申し渡されているのだ。世界中をうろつき歩いて、――ああ悲しいかな!――そして、この世に居たら共に与かることも出来たろうし、幸福に転ずることも出来たろうが、今は自分の与かることの出来ない事柄を目撃するように
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