うとしても手に着かなかったりした。そして、(傍で)遊んでいる子供達の声を平気で聞いていられないほど苛々していたからである。
 やっと待ち焦れていた戸を敲く音が聞えた。彼女は急いで入口に彼女の良人を迎えた。良人と云うのは、まだ若くはあるが、気疲れで、滅入り切ったような顔をした男であった。が、今やその顔には著しい表情が現われていた、自分ながら恥かしいことに思って、抑えようと努めてはいるが、どうも圧え切れないような、容易ならぬ喜びの表情であった。
 その男は炉の側《はた》に自分のためにとて蓄《と》って置かれてあった御馳走の前に腰を下ろした。それから彼女がどんな様子かと力なげに訊いた時に、(それも長い間沈黙していた後で、)彼は何と返辞をしたものかと当惑しているように見えた。
「好かったのですか」と、彼女は相手を助けるように云った。「それとも悪いのですか。」
「悪いんだ」と、彼は答えた。
「私達はすっかり身代限りですね?」
「いや、まだ望みはあるんだ、キャロラインよ。」
「あの人の気が折れれば」と、彼女は意外に思って云った、「望みはありますわ! 万一そんな奇蹟が起ったのなら、決して望みのない訳ではありませんよ。」
「気の折れるどころではないのさ」と、彼女の良人は云った。「あの人は死んだんだよ。」
 彼女の顔つきが真実を語っているものなら、彼女は温和《おとな》しい我慢強い女であった。が、彼女はそれを聞いて、心の中に有難いと思った。そして、両手を握ったまま、そうと口走った。次の瞬間には、彼女も神の宥免を願った。そして、(相手を)気の毒がった。が、最初の心持が彼女の衷心からの感情であった。
「昨宵お前に話したあの生酔いの女が私に云ったことね、それ、私があの人に会って、一週間の延期を頼もうとした時にさ。それを私は単に私に会いたくない口実だと思ったんだが、それはまったく真実《ほんとう》のことだったんだね。ただ病気が重いと云うだけじゃなかったんだ、その時はもう死にかけていたんだよ。」
「それで私達の借金は誰の手に移されるんでしょうね?」
「そりゃ分からないよ。だが、それまでには、こちらも金子の用意が出来るだろうよ。たとい出来ないにしても、あの人の後嗣《あとつぎ》がまたあんな無慈悲な債権者だとすれば、よっぽど運が悪いと云うものさ。何しろ今夜は心配なしにゆっくりと眠られるよ、キャロライン!」
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