焉Aズックよりもっとゴツ/\していました。そして、その洗濯も彼女がしてくれるのでした。
彼女は私の先生になって、言葉を教えてくれました。何でも、私が指さすものを、この国の言葉で言ってくれます。そんなふうにして教えられたので、二三日もすると、私はもう欲しいものを口で言えるようになりました。
彼女は大へん気だてのいゝ娘で、年のわりに小柄で、四十フィートしかなかったのです。彼女は私に、グリルドリッグという名前をつけてくれました。やがて家の人々も、この名を使うようになるし、後には国中の人がみな、私のことをそういって呼びました。このグリルドリッグという言葉は、イギリスでなら、マニキン(小人)という言葉と同じ意味でした。
私がこの国で無事に生きていられたのは、一つには、この娘のおかげでした。私たちはこゝにいる間じゅう、決して離れなかったものです。私は彼女のことを、グラムダルクリッチ(可愛いお乳母さん)と呼びました。彼女が私につくしてくれた、親切のかず/\は、特に、こゝに書いておきたいと思います。私はぜひ、折があったら、彼女に恩返ししたいと、心から願っているのです。
さて、私の主人が畑で不思議な動物を見つけたという噂は、だん/\、ひろがってゆきました。
その動物の大きさは、スプラクナク(この国の綺麗な動物で、長さはおよそ六フィートほど)ぐらいで、形はまるで人間と同じ形だし、動作も人間とそっくり、何だか可愛い言葉をしゃべるし、それにこの国の言葉も今は少しおぼえたようだし、二本足でまっすぐ立って歩くし、おとなしくて、すなおで、呼べば来るし、言いつけたことは何でもするし、とても、きゃしゃな手足を持っていて、顔色は三つになる貴族の娘より、もっと綺麗だ、などと、私の評判は、だん/\、ひろまっていました。
ところで、主人の親友の農夫が、このことを聞くと、ほんとかどうか、見にやって来ました。私はさっそくつれ出されて、テーブルの上に乗せられました。私は言いつけどおりに、歩いて見せたり、短剣を抜いたり、おさめたりして見せました。それから、お客に向って、うや/\しく、おじぎをして、
「よくいらっしゃいました。御機嫌はいかゞですか。」
と、可愛い乳母さんから教えられたとおりの言葉で言ってやりました。
そのお客は年寄で目がよく見えないので、もっとよく見ようと眼鏡をかけました。それを見ると、私は腹をかゝえて笑わないではいられなくなりました。というのは、彼の目が、二つの窓から射し込む満月のように見えたからです。みんなは、私のおかしがるわけがわかると、一しょになって笑いだしました。すると、老人はムッとして顔色を変えました。
この老人は、けちんぼう[#「けちんぼう」に傍点]だとの評判でしたが、やはりそうでした。そのため、私はとんだ目に会うことになりました。こゝから二十二マイルばかり、馬でなら、半時間かゝる、隣りの町の市日に、私をつれて行って、ひとつ見世物にするがいゝ、と、彼は主人にすゝめたのです。
主人とその男は、とき/″\、私の方を指さして、長い間、ひそ/\とさゝやき合っていました。私はそれを見て、これは何か悪いことを相談し合ってるな、と思いました。じっと気をつけていると、とき/″\、もれて聞える二人の言葉は、なんだか私にもわかるような気がしました。しかし、ほんとのことは、次の朝、グラムダルクリッチが私に話してくれたので、それで、すっかりわかったのでした。
私が見世物にされるということを、グラムダルクリッチは、母親から聞き出したのでした。彼女は私と別れることを、大へん悲しがり、私を胸に抱きしめて泣きだしました。
「見物人たちは、どんな乱暴なことをするかわかりません。あなたを押しつぶしてしまうかもしれないし、もしかすると、手を取って、あなたの手足を一本ぐらい折ってしまうかもわかりません。」
と、彼女は私のことを心配してくれるのでした。
「あなたは遠慮ぶかい、おとなしい、そして、気位の高い人でしょう。それなのに、見世物なんかにされて、お金のために、卑しい連中の前でなぐさみにされるなんて、ほんとうに口惜しいことでしょう。お父さんもお母さんも、私にグリルドリッグをあげると言って約束したくせに、今になって、こんなことをするのです。去年も子羊をあげると言っておきながら、その羊が肥えてくると、すぐ肉屋に売り払ってしまった、あれと同じようなことをしようとしてるのです。」
と、彼女は私のことを嘆くのでした。
しかし、私は、この乳母さんほどには、心配していなかったのです。いつかは、きっと自由の身になってみせると、私は強い希望を持っていました。それに、私が怪物として、あちこちで見世物にされても、私はこの国には知人ひとりあるわけではなし、私がイギリスに帰ってからも、何も、このことは非難されるはずがないと思います。イギリスの国王でも、今の私と同じようなことになったら、やはり、これくらいの苦労はするだろう、と私は思いました。
主人は友達の意見にしたがって、私を箱に入れて、次の市日に隣りの町まで運んで行きました。私の可愛い乳母さん(娘)も、父親の後に乗って、一しょについて来ました。私の入れられた箱は、四方とも塞《ふさ》がれていて、たゞ、出入口の小さな戸口のほかには、空気抜きのため錐《きり》の穴が二つ三つつけてありました。娘は私が寝られるように、箱の中に赤ん坊の蒲団を敷いてくれました。
この箱の旅は、たった半時間の旅行でしたが、身体がひどく揺られたので、私はくた/\になってしまいました。なにしろ、馬は一歩に四十フィートも飛んで、しかも非常に高く跳ねるので、私の箱は、まるで大暴風雨の中を、船が上ったり下ったりするようなものでした。
さて、町に着くと、主人は、行きつけの宿屋の前で馬をおり、しばらく、宿の亭主と相談していました。それから、いろんな準備が出来上ると、東西屋をやとって、町中に触れ歩かしました。
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、世にも不思議な生物、身の丈はスプラクナク(この国の綺麗な動物)ほどもないのに、頭のてっぺんから足の先まで、身体は人間にそっくりそのまゝ、言葉が話せて面白い芸当をいたします。」
と、こんなふうなことをしゃべらせたのです。
私は宿屋で、三百フィート四方もありそうな、大広間につれて行かれ、テーブルの上に乗せられました。私の乳母は、テーブルのそばの腰掛の上に立って、私の面倒をみたり、いろ/\と指図をしてくれるのでした。そのうちに、見物人がぞろ/\と押しかけて来ましたが、あまり混雑するので、主人は一回に三十人だけ見せることに決めました。
私は乳母の言いつけどおりに、テーブルの上を歩きまわったり、私にものを言わそうとして、彼女がいろ/\質問をすると、私は力一ぱいの声で、それに答えるのでした。それから、何度も見物人の方を振り向いて、ていねいにおじぎして、「よくいらっしゃいました。」と言ったり、そのほか、教わったとおりの挨拶をします。そしてグラムダルクリッチが、指貫《ゆびぬき》に酒を注いで渡してくれると、私はみんなのために乾盃をしてやります。かとおもえば、短剣を抜いて、イギリスの剣術使のまねをして、振りまわします。私の乳母が、藁の切れっぱしを渡してくれると、私はそれを槍のつもりにして、若い頃習った槍の術をして見せます。
その日の見物人は、十二組あったので、私は十二回も、こんなくだらないまねを繰り返さねばならなかったのです。そう/\、私は疲れて腹が立って、すっかり、へばってしまいました。
私を見た連中が、これは素晴しいという評判を立てたものですから、見物人はどっと押しかけて、大入満員でした。主人は、私の乳母以外には、誰にも私に指一本さわらせません。そのうえ、危険を防ぐために、テーブルのまわりを、ぐるりとベンチで取り囲んで、誰の手にもとゞかないようにしました。
それでも、いたずらの小学生が、私の頭をねらって榛の実を投げつけたものです。あたらなかったので助かりましたが、もしあたったら、私の頭は滅茶苦茶にされたでしょう。なにしろ榛の実といっても、南瓜ぐらいの大きさだし、それに猛烈な勢で飛んで来たのです。しかし、このいたずら小僧は、なぐられて部屋から追い出されてしまいました。
市日がすんで、私たちは家に戻りましたが、主人はこの次の市日にも、またこの見世物をやるという広告を出しました。そして、それまでに、私のためにもっと便利な乗り物を用意してくれました。だが、それはあたりまえのことで、なにぶんこの前の旅行で、私は非常に疲れ、八時間もぶっとおしに見世物にされたので、ヘト/\になってしまいました。私が元気を取り返すには、少くとも三日はかゝりました。
ところが、私の評判を聞いて、あちこちの紳士たちが、百マイルも先から、今度は主人の家に押しかけて来ました。私は家でも休めなくなりました。毎日々々、私はほとんど身体の休まる暇はなかったのです。
これはもうかりそうだ、と主人は、今度は私を街から街へつれ歩いて見世物にすることを思いつきました。長い旅行に必要な支度をとゝのえ、家の始末をつけると、細君に別れを告げて、一七〇三年の八月十七日(これは私がこの国へ着いてからちょうど二ヵ月目でした)に出発しました。主人は、この国のほゞ真中にある、首都をめざして行くのでしたが、家からそこまでは、三千マイルの道のりでした。
主人は娘のグラムダルクリッチを自分の後に乗せました。私は箱に入れられ、その箱は娘の腰に結びつけてありました。彼女は箱の内側を一番やわらかい布地ですっかり張ってくれ、下には厚い敷物を入れて、その上に赤ん坊の寝台を置いてくれました。私の下着やシャツなんかも、みんな、彼女がとゝのえてくれ、何不自由なくしてくれました。私たちの後から、家の小僧が一人、荷物を持ってついて来ました。
主人の考えでは、この旅は途中の町で見世物を開き、客のありそうな村や、貴人の家には、五十マイルや百マイルは、寄り道するつもりだったらしいのです。私たちは毎日わずかに百四五十マイルぐらいずつ進み、大へんらくな旅をしました。グラムダルクリッチが私を庇《かば》うために、馬の揺れですぐ自分の方が疲れてしまうと言ってくれたからです。私が頼むと、彼女はたび/\、箱から出しては、外の空気を吸わせてくれたり、景色を見せてくれました。そんなとき、彼女は紐でしっかり私を引っ張っていてくれるのでした。
私たちはナイル河やガンジス河よりも、何倍も大きな河を、五つ六つ越したのです。ロンドンのテムズ河みたいな、小さな川は一つもないのです。この旅行は十週間かゝりました。私たちは十八の大都市に立ち寄り、それから村々や、貴人の家で、何十回となく、見世物になりました。
十月二十六日に、いよ/\、私たちは国都に着きました。その国都の名はローブラルグラットといわれ、これは『世界の誇』という意味でした。主人は宮殿から程遠くない、目抜きの大通りに宿をとりました。そして、この私のことを、くわしく書いたビラを、あちこちに貼り出しました。それから、方三四百フィートもある、大きな部屋を借りて、そこに、私の舞台として、直径六十フィートばかりのテーブルを置きました。そして、私が落っこちないように、テーブルの縁から三フィート入ったところに、高さ、三フィートの柵をめぐらしました。
私は毎日、十回ずつ見世物にされましたが、人々はすっかり感心して、大満足のようでした。私はこの頃、もうかなりうまく言葉が使えて、話しかけられる言葉なら、何でもわかるようになっていました。そのうえ、家にいるときも、旅行中も、いつもグラムダルクリッチが私の先生になってくれたので、この国の文字もおぼえ、ちょっとした文章なら説明することができるようになりました。彼女はポケットに小さな本を入れていました。それは若い娘たちによく読まれる本で、宗教のことが簡単に書いてあります。その本を使って、彼女は私に字を教えたり、言葉を説明してくれるのでした。
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