チて来て、言葉を教えに来たのだと手まねで言います。私たちは、四時間一しょに勉強しました。私はたくさんの言葉を縦に書き、それに訳を書いてゆきました。短い文章も少しおぼえました。
 それにはまず先生が、召使の一人に、「何々を持って来い。」「あっちを向け。」「おじぎ。」「坐れ。」「立て。」というふうに命令をします。すると私は、その文章を書きつけるのでした。それから今度は本を開いて、日や月や星や、そのほか、いろんな平面図、立体図の名を教えてくれました。先生は、また、楽器の名前と音楽の言葉を、いろ/\教えてくれました。こんなふうにして、二三日すると、私は大たい彼等の言葉がどんなものであるか、わかってきたのです。こゝの島は『ラピュタ』といゝます。私はそれを『飛島』『浮島』などと訳しておきました。
 私の服がみすぼらしいというので、私の世話人が、翌朝、洋服屋を呼んで来ました。ところが、その洋服屋のやり方が、ヨーロッパの寸法の取り方とは、まるで違うのでした。彼は定規とかコンパスで、私の身体をはかり、いろんな数学上の計算を紙の上に書きとめました。そして、服は六日目に出来上りましたが、その恰好はてんでなっていないのでした。なんでも、計算の数字を間違えたのだそうです。しかし、そんな間違いはいつもあることで、誰も気にするものはないというので、私も少し安心しました。
 私は病気で五六日引きこもっていましたが、その間に、だいぶこの国の言葉を勉強しました。それで、その次に宮廷へ行ったときには、国王の言うこともわかれば、いくらか返事をすることもできました。
 陛下は、この島を、北東々に進ませて、ラガード(下の大地にある、この国の首都)の上に持ってゆくよう、お命じになりました。ラガードは約九十リーグほど離れていたので、この旅行には四日半かかりました。旅行中、この島が空中を進行しているような気配はちょっとも感じられないのでした。三日目の朝、十一時頃、国王は自ら貴族、廷臣、役人どもを従えられ、それ/″\楽器の調子をとゝのえると、それから三時間、休みなしに演奏されました。騒々しくて、私はもう耳がつんぼ[#「つんぼ」に傍点]になりそうでした。
 首都ラガードへ行く途中、陛下は、ところ/″\の町や村の上に、この島をとめるよう、お命じになりました。これは、それ/″\、人民の訴えごとを、お聞きになるためでした。小
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