いたが、那《それ》が名を成《な》す端緒《たんちよ》であつたかと思ふ、
武内《たけのうち》と識《し》つたのは、新著百種《しんちよひやくしゆ》の挿絵《さしゑ》を頼《たの》みに行つたのが縁《ゑん》で、酷《ひど》く懇意《こんい》に成《な》つて了《しま》つたが、其始《そのはじめ》は画《ゑ》より人物に惚《ほ》れたので、其頃《そのころ》武内《たけのうち》は富士見町《ふじみちやう》の薄闇《うすぐら》い長屋《ながや》の鼠《ねづみ》の巣《す》見たやうな中《うち》に燻《くすぶ》つて居《ゐ》ながら太平楽《たいへいらく》を抒《なら》べる元気が凡《ぼん》でなかつた、
広津《ひろつ》と知つたのは、廿《にぢう》一年の春であつたか、少年園《せうねんゑん》の宴会《ゑんくわい》が不忍池《しのばず》の長※[#「酉+它」、第4水準2−90−34]亭《ちやうだてい》に在《あ》つて、其《そ》の席上《せきじやう》で相識《ちかづき》に成《な》つたのでした、其頃《そのころ》博文館《はくぶんくわん》が大和錦《やまとにしき》と云《い》ふ小説雑誌を出して居《ゐ》て、広津《ひろつ》が編輯主任《へんしうしゆにん》でありました、乙羽庵《おとはあん》
前へ 次へ
全46ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング