い。頸《くび》を長くして待つてお在《いで》だのに、早く帰つて来ないと云ふ法が有るものですか。大きにまあお世話様でございましたね、さあさ、馬車を待たして置いたから、履物《はきもの》はここに在るよ。なあに、おまへ私はね、※[#「※」は「さんずい+氣」、263−15]車《きしや》で行くから訳は無いとも」
 かく言ふ間も忙《せは》しげに我が靴を脱ぎて、其処《そこ》に直すと見れば、背負ひし風呂敷包の中結《なかゆひ》を釈きて、直行が前に上掛《うはがけ》の油紙を披《ひろ》げたり。
「さあさ、お前の首をこの中へ入れるのだ。ころつと落して。直《ぢき》に落ちるから、早く落してお了ひなさい」
 さすがに持扱《もてあつか》ひて直行の途方に暮れたるを、老女は目を纖《ほそ》めて、何処《いづこ》より出づらんやとばかり世にも奇《あやし》き声を発《はな》ちて緩《ゆる》く笑ひぬ。彼は謂知《いひし》らぬ凄気《せいき》に打れて、覚えず肩を聳《そびや》かせり。
 懲役と言ひ、雅之と言ふに因《よ》りて、彼は始めてこの狂女の身元を思合せぬ。彼の債務者なる飽浦雅之《あくらまさゆき》は、私書偽造罪を以《も》つて彼の被告としてこの十数日
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