がへ》して其方《そなた》を見向かんとせしが、幾《ほとん》ど同時に又枕して、終《つひ》に動かず。狂ひ出でんずる息を厳《きびし》く閉ぢて、燃《もゆ》るばかりに瞋《いか》れる眼《まなこ》は放たず名刺を見入りたりしが、さしも内なる千万無量の思を裹《つつ》める一点の涙は不覚に滾《まろ》び出《い》でぬ。こは怪しと思ひつつも婆は、
「此方《こちら》へお通し申しませうで……」
「知らん!」
「はい?」
「こんな人は知らん」
人目あらずば引裂き棄つべき名刺よ、涜《けがらは》しと投返せば床の上に落ちぬ。彼は強《し》ひて目を塞《ふさ》ぎ、身の顫《ふる》ふをば吾と吾手に抱窘《だきすく》めて、恨は忘れずとも憤《いかり》は忍ぶべしと、撻《むちう》たんやうにも己を制すれば、髪は逆竪《さかだ》ち蠢《うごめ》きて、頭脳の裏《うち》に沸騰《わきのぼ》る血はその欲するままに注ぐところを求めて、心も狂へと乱螫《みだれさ》すなり。彼はこれと争ひて猶《なほ》も抑へぬ。面色は漸《やうや》く変じて灰の如し。婆は懼《おそ》れたる目色《めざし》を客の方へ忍ばせて、
「御存じないお方なので?」
「一向知らん。人違だらうから、断《ことわ》
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