に引承《ひきう》けて万端の世話せしに因《よ》るなり。孤児《みなしご》の父は隆三の恩人にて、彼は聊《いささ》かその旧徳に報ゆるが為に、啻《ただ》にその病めりし時に扶助せしのみならず、常に心着《こころづ》けては貫一の月謝をさへ間《まま》支弁したり。かくて貧き父を亡《うしな》ひし孤児《みなしご》は富める後見《うしろみ》を得て鴫沢の家に引取られぬ。隆三は恩人に報ゆるにその短き生時《せいじ》を以《もつ》て慊《あきた》らず思ひければ、とかくはその忘形見を天晴《あつぱれ》人と成して、彼の一日も忘れざりし志を継がんとせるなり。
 亡《な》き人常に言ひけるは、苟《いやし》くも侍の家に生れながら、何の面目《めんぼく》ありて我子貫一をも人に侮《あなど》らすべきや。彼は学士となして、願くは再び四民《しみん》の上《かみ》に立たしめん。貫一は不断にこの言《ことば》を以《も》て警《いまし》められ、隆三は会ふ毎にまたこの言を以《も》て喞《かこ》たれしなり。彼は言《ものい》ふ遑《いとま》だに無くて暴《にはか》に歿《みまか》りけれども、その前常に口にせしところは明かに彼の遺言なるべきのみ。
 されば貫一が鴫沢の家内に於け
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