ら込入《こみい》つたお話は承《うけたま》はらんでも宜《よろし》い、但何故《ただなにゆゑ》に貴下方は活《い》きてをられんですか、それだけお聞せ下さい」
「…………」
「お二人が添ふに添れん、と云ふやうな事なのですか」
 男は甚《はなは》だ微《かすか》に頷《うなづ》きつ。
「さやうですか。さうしてその添れんと云ふのは、何故《なにゆゑ》に添れんのです」
 彼は又黙せり。
「その次第を伺つて、私《わたくし》の力で及ぶ事でありましたら、随分御相談|合手《あひて》にも成らうかと、実は考へるので。然し、お話の上で到底私如きの力には及ばず、成程活きてをられんのは御尤《ごもつとも》だ、他人の私《わたし》でさへ外に道は無い、と考へられるやうなそれが事情でありましたら、私は決してお止《とど》め申さん。ここに居て、立派に死なれるのを拝見もすれば、介錯《かいしやく》もして上げます。
 私《わたくし》もこの間に入つた以上は、空《むなし》く手を退《ひ》く訳には行かんのです。貴下方を拯《すく》ふ事が出来るか、出来んか、那一箇《どつちか》です。幸《さいはひ》に拯《すく》ふ事が出来たら、私は命の親。又出来なかつたら、貴下方はこの世に亡《な》い人。この世に亡い人なら、如何《いか》なる秘密をここで打明けたところが、一向|差支無《さしつかへな》からうと私は思ふ。若《も》し命の親とすればです、猶更《なおさら》その者に裹《つつ》み隠す事は無いぢやありませんか。私は何も洒落《しやれ》に貴下方のお話を聴かうと云ふのぢやありません、可うございますか、顕然《ちやん》と聴くだけの覚悟を持つて聴くのです。さあ、お話し下さい!」

     第 五 章

 貫一は気を厳粛《おごそか》にして逼《せま》れるなり。さては男も是非無げに声|出《いだ》すべき力も有らぬ口を開きて、
「はい御深切に……難有《ありがた》う存じます……」
「さあ、お話し下さい」
「はい」
「今更お裹《つつ》みなさる必要は無からう、と私は思ふ。いや、つい私は申上げんでをつたが、東京の麹町《こうじまち》の者で、間《はざま》貫一と申して、弁護士です。かう云ふ場合にお目に掛るのは、好々《よくよく》これは深い御縁なのであらうと考へるのですから、決して貴下方の不為《ふため》に成るやうには取計ひません。私も出来る事なら、人間|両個《ふたり》の命を拯《すく》ふのですから、どうにでもお助け申して、一生の手柄に為て見たい。私はこれ程までに申すのです」
「はい、段々御深切に、難有う存じます」
「それぢや、お話し下さるか」
「はい、お聴に入れますで御座います」
「それは忝《かたじけ》ない」
 彼は始めて心安う座を取れば、恐る惶《おそ》る狭山は先《ま》づその姿を偸見《ぬすみみ》て、
「何からお話し申して宜《よろし》いやら……」
「いや、その、何ですな、貴下方は添ふに添れんから死ぬと有仰《おつしや》る――! 何為《なぜ》添れんのですか」
「はい、実は私は、恥を申しませんければ解りませんが、主人の金を大分|遣《つか》ひ込みましたので御座います」
「はあ、御主人|持《もち》ですか」
「さやうで御座います。私は南伝馬町《みなみてんまちよう》の幸菱《こうびし》と申します紙問屋の支配人を致してをりまして、狭山元輔《さやまもとすけ》と申しまする。又これは新橋に勤を致してをります者で、柏屋《かしわや》の愛子と申しまする」
 名宣《なの》られし女は、消えも遣《や》らでゐたりし人陰の闇《くら》きより僅《わづか》に躙《にじ》り出でて、面伏《おもぶせ》にも貫一が前に会釈しつ。
「はあ、成程」
「然るところ、昨今これに身請《みうけ》の客が附きまして」
「ああ、身請の? 成程」
「否でもその方へ参らんければ成りませんやうな次第。又私はその引負《ひきおひ》の為に、主人から告訴致されまして、活《い》きてをりますれば、その筋の手に掛りますので、如何《いか》にとも致方《いたしかた》が御座いませんゆゑ、無分別《むふんべつ》とは知りつつも、つい突迫《つきつ》めまして、面目次第も御座いません」
 彼等はその無分別を慙《は》ぢたりとよりは、この死失《しにぞこな》ひし見苦しさを、天にも地にも曝《さら》しかねて、俯《ふ》しも仰ぎも得ざる項《うなじ》を竦《すく》め、尚《なほ》も為ん方無さの目を閉ぢたり。
「ははあ。さうするとここに金さへ有れば、どうにか成るのでせう! 貴方の費消《つかひこみ》だつて、その金額を弁償して、宜《よろし》く御主人に詑《わ》びたら、無論内済に成る事です。婦人の方は、先方で請出すと云ふのなら、此方《こつち》でも請出すまでの事。さうして、貴方の引負《ひきおひ》は若干《いくら》ばかりの額《たか》に成るのですか」
「三千円ほど」
「三千円。それから身請の金は?」
 狭山は女を顧
前へ 次へ
全177ページ中162ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング