放たず。
「間さん、貴方さう黙つてゐらつしやらんでも宜《よろし》いでは御座いませんか。ああ云ふお美《うつくし》いのを御覧に成つた後では、私如き者には口をお利《き》きに成るのもお可厭《いや》なのでゐらつしやいませう。私お察し申してをります。ですから私決して絮《くど》い事は申上げません。少し聞いて戴きたい事が御座いますのですから、庶《どう》かそれだけ言《いは》して下さいまし」
貫一は冷《ひややか》に目を転《うつ》して、
「何なりと有仰《おつしや》い」
「私もう貴方を殺して了ひたい!」
「何です?!」
「貴方を殺して、あれも殺して、さうして自分も死んで了ひたく思ふのです」
「それも可いでせう。可いけれど何で私《わたし》が貴方に殺されるのですか」
「間さん、貴方はその訳を御存無《ごぞんじな》いと有仰《おつしや》るのですか、どの口で有仰るのですか」
「これは怪《けし》からん! 何ですと」
「怪からんとは、貴方も余《あんま》りな事を有仰るでは御座いませんか」
既に恨み、既に瞋《いか》りし満枝の眼《まなこ》は、ここに到りて始て泣きぬ。いと有るまじく思掛けざりし貫一は寧《むし》ろ可恐《おそろ》しと念《おも》へり。
「貴方はそんなにも私が憎くてゐらつしやるのですか。何で又さうお憎みなさるのですか。その訳をお聞せ下さいまし。私それが伺ひたい、是非伺はなければ措《お》きません」
「貴方を何日《いつ》私が憎みました。そんな事は有りません」
「では、何で怪からんなどと有仰《おつしや》います」
「怪からんぢやありませんか、貴方に殺される訳が有るとは。私は決《け》して貴方に殺される覚《おぼえ》は無い」
満枝は口惜《くちを》しげに頭《かしら》を掉《ふ》りて、
「有ります! 立派に有ると私信じてをります」
「貴方が独《ひとり》で信じても……」
「いいえ、独で有らうが何で有らうが、自分の心に信じた以上は、私それを貫きます」
「私を殺すと云ふのですか」
「随分殺しかねませんから、覚悟をなすつてゐらつしやいまし」
「はあ、承知しました」
いよいよ昇れる月に木草の影もをかしく、庭の風情《ふぜい》は添《そは》りけれど、軒端《のきば》なる芭蕉葉《ばしようば》の露夥《つゆおびただし》く夜気の侵すに堪《た》へで、やをら内に入りたる貫一は、障子を閉《た》てて燈《ひ》を明《あか》うし、故《ことさら》に床の間の置時計を見遣りて、
「貴方、もうお帰りに成つたが可いでせう、余り晩《おそ》くなるですから。ええ?」
「憚《はばか》り様で御座います」
「いや、御注意を申すのです」
「その御注意が憚り様で御座いますと申上げるので」
「ああ、さうですか」
「今朝のあの方なら、そんな御注意なんぞは遊ばさんで御座いませう。如何《いかが》ですか」
憎さげに言放ちて、彼は吾矢の立つを看《み》んとやうに、姑《しばら》く男の顔色を候《うかが》ひしが、
「一体あれは何者なので御座います!」
犬にも非ず、猫にも非ず、汝《なんぢ》に似たる者よと思ひけれど、言争《いひあらそ》はんは愚なりと勘弁して、彼は才《わづか》に不快の色を作《な》せしのみ。満枝は益す独り憤《じ》れて、
「旧《ふる》いお馴染《なじみ》ださうで御座いますが、あの恰好《かつこう》は、商売人ではなし、万更の素人《しろうと》でもないやうな、貴方も余程《よつぽど》不思議な物をお好み遊ばすでは御座いませんか。然し、間さん、あれは主有《ぬしあ》る花で御座いませう」
妄《みだり》に言へるならんと念《おも》へど、如何《いか》にせん貫一が胸は陰《ひそか》に轟《とどろ》けるを。
「どうですか、なあ」
「さう云ふ者を対手《あひて》に遊ばすと、別《べつ》してお楽《たのしみ》が深いとか申しますが、その代《かはり》に罪も深いので御座いますよ。貴方が今日《こんにち》まで巧《たくみ》に隠し抜いてゐらしつた訳も、それで私能く解りました。こればかりは余り公《おほやけ》に御自慢は出来ん事で御座いますもの、秘密に遊ばしますのは実に御尤《ごもつとも》で御座います。
その大事の秘密を、人も有らうに、貴方の嫌《きら》ひの嫌ひの大御嫌《だいおきら》ひの私に知られたのは、どんなにかお心苦《こころくるし》くゐらつしやいませう。私十分お察し申してをります。然し私に取りましては、これ程|幸《さいはひ》な事は無いので御座います。貴方が余り片意地に他《ひと》を苦めてばかりゐらしつたから、今度は私から思ふ様これで苦めて上げるのです。さう思召《おぼしめ》してゐらつしやい!」
聞訖《ききをは》りたる貫一は吃々《きつきつ》として窃笑《せつしよう》せり。
「貴方は気でも違ひは為《せ》んですか」
「少しは違つてもをりませう。誰がこんな気違《きちがひ》には作《な》すつたのです。私気が違つてゐるなら、今朝
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