、実《げ》に幾許《いかばかり》大いなる者ならん。
「さあ、早く帰れ!」
「もう二度と私はお目には掛りませんから、今日のところはどうとも堪忍して、打《ぶ》つなり、殴《たた》くなり貫一さんの勝手にして、さうして少小《すこし》でも機嫌《きげん》を直して、私のお詑《わび》に来た訳を聞いて下さい」
「ええ、煩《うるさ》い!」
「それぢや打つとも殴くともして……」
身悶《みもだえ》して宮の縋《すが》るを、
「そんな事で俺《おれ》の胸が霽《は》れると思つてゐるか、殺しても慊《あきた》らんのだ」
「ええ、殺れても可い! 殺して下さい。私は、貫一さん、殺して貰ひたい、さあ、殺して下さい、死んで了つた方が可いのですから」
「自分で死ね!」
彼は自ら手を下《くだ》して、この身を殺すさへ屑《いさぎよ》からずとまでに己《おのれ》を鄙《いやし》むなるか、余に辛《つら》しと宮は唇《くちびる》を咬《か》みぬ。
「死ね、死ね。お前も一旦棄てた男なら、今更|見《みつ》とも無い態《ざま》を為ずに何為《なぜ》死ぬまで立派に棄て通さんのだ」
「私は始から貴方を棄てる気などは有りはしません。それだから篤《とつく》りとお話を為たいのです。死んで了へとお言ひでなくても、私はもう疾《とう》から自分ぢや生きてゐるとは思つてゐません」
「そんな事聞きたくはない。さあ、もう帰れと言つたら帰らんか!」
「帰りません! 私はどんな事してもこのままぢや……帰れません」
宮は男の手をば益す弛《ゆる》めず、益す激する心の中《うち》には、夫もあらず、世間もあらずなりて、唯この命を易《か》ふる者を失はじと一向《ひたぶる》に思入るなり。
折から縁に足音するは、老婢の来るならんと、貫一は取られたる手を引放たんとすれど、こは如何《いかに》、宮は些《ちと》も弛《ゆる》めざるのみか、その容《かたち》をだに改めんと為ず。果して足音は紙門《ふすま》の外に逼《せま》れり。
「これ、人が来る」
「…………」
宮は唯力を極《きは》めぬ。
不意にこの体《てい》を見たる老婢は、半《なかば》啓《あ》けたる紙門《ふすま》の陰に顔引入れつつ、
「赤樫《あかがし》さんがお出《いで》になりまして御座います」
窮厄の色はつと貫一の面《おもて》に上《のぼ》れり。
「ああ、今|其方《そつち》へ行くから。――さあ、客が有るのだ、好加減に帰らんか。ええ、放せ。客が有ると云ふのにどうするのか」
「ぢや私はここに待つてゐますから」
「知らん! もう放せと言つたら」
用捨もあらず宮は捻倒《ねぢたふ》されて、落花の狼藉《ろうぜき》と起き敢《あ》へぬ間に貫一は出行《いでゆ》く。
(六) の 二
座敷外に脱ぎたる紫裏《むらさきうら》の吾妻《あづま》コオトに目留めし満枝は、嘗《かつ》て知らざりしその内曲《うちわ》の客を問はで止む能《あた》はざりき。又常に厚く恵《めぐま》るる老婢は、彼の為に始終の様子を告《つぐ》るの労を吝《をし》まざりしなり。さてはと推せし胸の内は瞋恚《しんい》に燃えて、可憎《につく》き人の疾《と》く出で来《こ》よかし、如何《いか》なる貌《かほ》して我を見んと為《す》らん、と焦心《せきごころ》に待つ間のいとどしう久《ひさし》かりしに、貫一はなかなか出《い》で来ずして、しかも子亭《はなれ》のほとほと人気《ひとけ》もあらざらんやうに打鎮《うちしづま》れるは、我に忍ぶかと、弥《いよい》よ満枝は怺《こら》へかねて、
「お豊さん、もう一遍|旦那《だんな》様にさう申して来て下さいな、私《わたし》今日は急ぎますから、些《ちよつ》とお目に懸りたいと」
「でも、私《わたくし》は誠に参り難《にく》いので御座いますよ、何だかお話が大変込入つてお在《いで》のやうで御座いますから」
「かまはんぢやありませんか、私がさう申したと言つて行くのですもの」
「ではさう申上げて参りますです」
「はあ」
老婢は行きて、紙門《ふすま》の外より、
「旦那さま、旦那さま」
「此方《こちら》にお在《いで》は御座いませんよ」
かく答へしは客の声なり。豊は紙門《ふすま》を開きて、
「おや、さやうなので御座いますか」
実《げ》に主《あるじ》は在らずして、在るが如くその枕頭《まくらもと》に坐れる客の、猶悲《なほかなしみ》の残れる面《おもて》に髪をば少し打乱《うちみだ》し、左の※[#「※」は「ころもへん+各」、358−10]《わきあけ》の二寸ばかりも裂けたるままに姿も整はずゐたりしを、遽《にはか》に引枢《ひきつくろ》ひつつ、
「今し方|其方《そちら》へお出《いで》なすつたのですが……」
「おや、さやうなので御座いますか」
「那裡《あちら》のお客様の方へお出《いで》なすつたのでは御座いませんか」
「いいえ、貴方、那裡《あちら》のお客様が急ぐと有仰《おつしや
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