されども彼は猶目を放たず、宮はわざと打背《うちそむ》きて、裁片畳《きれたたふ》の内を撈《かきさが》せり。
「宮《みい》さん、お前さんどうしたの。ええ、何処《どこ》か不快《わるい》のかい」
「何ともないのよ。何故《なぜ》?」
かく言ひつつ益《ますます》急に撈《かきさが》せり。貫一は帽を冠《かぶ》りたるまま火燵に片肱掛《かたひぢか》けて、斜《ななめ》に彼の顔を見遣《みや》りつつ、
「だから僕は始終水臭いと言ふんだ。さう言へば、直《ぢき》に疑深《うたぐりぶか》いの、神経質だのと言ふけれど、それに違無いぢやないか」
「だつて何ともありもしないものを……」
「何ともないものが、惘然《ぼんやり》考へたり、太息《ためいき》を吐《つ》いたりして鬱《ふさ》いでゐるものか。僕は先之《さつき》から唐紙《からかみ》の外で立つて見てゐたんだよ。病気かい、心配でもあるのかい。言つて聞《きか》したつて可いぢやないか」
宮は言ふところを知らず、纔《わづか》に膝の上なる紅絹《もみ》を手弄《てまさぐ》るのみ。
「病気なのかい」
彼は僅《わづか》に頭《かしら》を掉《ふ》りぬ。
「それぢや心配でもあるのかい」
彼はなほ頭を掉れば、
「ぢやどうしたと云ふのさ」
宮は唯胸の中《うち》を車輪《くるま》などの廻《めぐ》るやうに覚ゆるのみにて、誠にも詐《いつはり》にも言《ことば》を出《いだ》すべき術《すべ》を知らざりき。彼は犯せる罪の終《つひ》に秘《つつ》む能《あた》はざるを悟れる如き恐怖《おそれ》の為に心慄《こころをのの》けるなり。如何《いか》に答へんとさへ惑へるに、傍《かたはら》には貫一の益|詰《なじ》らんと待つよと思へば、身は搾《しぼ》らるるやうに迫来《せまりく》る息の隙《ひま》を、得も謂《い》はれず冷《ひやや》かなる汗の流れ流れぬ。
「それぢやどうしたのだと言ふのに」
貫一の声音《こわね》は漸《やうや》く苛立《いらだ》ちぬ。彼の得言はぬを怪しと思へばなり。宮は驚きて不覚《そぞろ》に言出《いひいだ》せり。
「どうしたのだか私にも解らないけれど、……私はこの二三日どうしたのだか……変に色々な事を考へて、何だか世の中がつまらなくなつて、唯悲くなつて来るのよ」
呆《あき》れたる貫一は瞬《またたき》もせで耳を傾《かたぶ》けぬ。
「人間と云ふものは今日かうして生きてゐても、何時《いつ》死んで了《しま》ふか解らないのね。かうしてゐれば、可楽《たのしみ》な事もある代《かはり》に辛《つら》い事や、悲い事や、苦《くるし》い事なんぞが有つて、二つ好い事は無し、考れば考るほど私は世の中が心細いわ。不図《ふつと》さう思出《おもひだ》したら、毎日そんな事ばかり考へて、可厭《いや》な心地《こころもち》になつて、自分でもどうか為《し》たのかしらんと思ふけれど、私病気のやうに見えて?」
目を閉ぢて聴《きき》ゐし貫一は徐《しづか》に※[#「※」は「目+匡」、36−5]《まぶた》を開くとともに眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、
「それは病気だ!」
宮は打萎《うちしを》れて頭《かしら》を垂れぬ。
「然《しか》し心配する事は無いさ。気に為ては可かんよ。可いかい」
「ええ、心配しはしません」
異《あやし》く沈みたるその声の寂しさを、如何《いか》に貫一は聴きたりしぞ。
「それは病気の所為《せゐ》だ、脳でも不良《わるい》のだよ。そんな事を考へた日には、一日だつて笑つて暮せる日は有りはしない。固《もと》より世の中と云ふものはさう面白い義《わけ》のものぢやないので、又人の身の上ほど解らないものは無い。それはそれに違無いのだけれど、衆《みんな》が皆《みんな》そんな了簡《りようけん》を起して御覧な、世界中御寺ばかりになつて了《しま》ふ。儚《はかな》いのが世の中と覚悟した上で、その儚い、つまらない中で切《せめ》ては楽《たのしみ》を求めやうとして、究竟《つまり》我々が働いてゐるのだ。考へて鬱《ふさ》いだところで、つまらない世の中に儚い人間と生れて来た以上は、どうも今更為方が無いぢやないか。だから、つまらない世の中を幾分《いくら》か面白く暮さうと考へるより外は無いのさ。面白く暮すには、何か楽《たのしみ》が無ければならない。一事《ひとつ》かうと云ふ楽があつたら決して世の中はつまらんものではないよ。宮《みい》さんはそれでは楽と云ふものが無いのだね。この楽があればこそ生きてゐると思ふ程の楽は無いのだね」
宮は美き目を挙げて、求むるところあるが如く偸《ひそか》に男の顔を見たり。
「きつと無いのだね」
彼は笑《ゑみ》を含みぬ。されども苦しげに見えたり。
「無い?」
宮の肩頭《かたさき》を捉《と》りて貫一は此方《こなた》に引向けんとすれば、為《な》すままに彼は緩《ゆる》く身を廻《めぐら》したれど、顔のみは可羞《はぢが
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