う》の業《ごう》は曝《さら》さざるに、天か、命《めい》か、或《ある》は応報か、然《しか》れども独《ひと》り吾が直行をもて世間に善を作《な》さざる者と為《な》すなかれ。人情は暗中に刃《やいば》を揮《ふる》ひ、世路《せいろ》は到る処に陥穽《かんせい》を設け、陰に陽に悪を行ひ、不善を作《な》さざるはなし。若《も》し吾が直行の行ふところをもて咎《とが》むべしと為さば、誰か有りて咎《とが》められざらん、しかも猶《なほ》甚《はなはだし》きを為して天も憎まず、命も薄《うす》んぜず、応報もこれを避《さく》るもの有るを見るにあらずや。彼等の惨死《さんし》を辱《はづかし》むるなかれ、適《たまた》ま奇禍を免れ得ざりしのみ。
かく念《おも》へる貫一は生前《しようぜん》の誼深《よしみふか》かりし夫婦の死を歎きて、この永き別《わかれ》を遣方《やるかた》も無く悲み惜むなりき。さて何時《いつ》までかここに在らんと、主の遺骨を出《いだ》せし辺《あたり》を拝し、又妻の屍《かばね》の横《よこた》はりし処を拝して、心佗《こころわびし》く立去らんとしたりしに、彼は怪くも遽《にはか》に胸の内の掻乱《かきみだ》るる心地するとともに、失せし夫婦の弔ふ者もあらで闇路《やみぢ》の奥に打棄てられたるを悲く、あはれ猶《なほ》少時《しばし》留らずやと、いと迫《せ》めて乞ひ縋《すが》ると覚ゆるに、行くにも忍びず、又立還りて積みたる土に息《いこ》へり。
実《げ》に彼も家の内に居て、遺骸《なきがら》の前に限知られず思ひ乱れんより、ここには亡き人の傍《そば》にも近く、遺言に似たる或る消息をも得るらん想《おもひ》して、立てたる杖に重き頭《かしら》を支へて、夫婦が地下に齎《もたら》せし念々を冥捜《めいそう》したり。やがて彼は何の得るところや有りけん、繁《しげ》き涙は滂沱《はらはら》と頬《ほほ》を伝ひて零《こぼ》れぬ。
夜陰に轟《とどろ》く車ありて、一散に飛《とば》し来《きた》りけるが、焼場《やけば》の際《きは》に止《とどま》りて、翩《ひらり》と下立《おりた》ちし人は、直《ただ》ちに鰐淵が跡の前に尋ね行きて歩《あゆみ》を住《とど》めたり。
焼瓦《やけがはら》の踏破《ふみしだ》かるる音に面《おもて》を擡《もた》げたる貫一は、件《くだん》の人影の近く進来《すすみく》るをば、誰ならんと認むる間《ひま》も無く、
「間さんですか」
「おお、貴方《あなた》は! お帰来《かへり》でしたか」
その人は待ちに待たれし直道なり。貫一は忙《いそがはし》く出迎へぬ。向ひて立てる両箇《ふたり》は月明《つきあかり》に面《おもて》を見合ひけるが、各《おのおの》口吃《くちきつ》して卒《にはか》に言ふ能はざるなりき。
「何とも不慮な事で、申上げやうもございません」
「はい。この度《たび》は留守中と云ひ、別してお世話になりました」
「私《わたくし》は事の起りました晩は未《ま》だ病院に居りまして、かう云ふ事とは一向存じませんで、夜明になつて漸《やうや》く駈着《かけつ》けたやうな始末、今更申したところが愚痴に過ぎんのですけれど、私が居りましたらまさかこんな事にはお為せ申さんかつたと、実に残念でなりません。又お二人にしても余り不覚な、それしきの事に狼狽《ろうばい》される方ではなかつたに、これまでの御寿命であつたか、残多《のこりおほ》い事を致しました」
直道は塞《ふさ》ぎし眼《まなこ》を怠《たゆ》げに開きて、
「何もかも皆焼けましたらうな」
「唯|一品《ひとしな》、金庫が助りました外には、すつかり焼いて了ひました」
「金庫が残りました? 何が入つてゐるのですか」
「貨《かね》も少しは在りませうが、帳簿、証書の類が主《おも》でございます」
「貸金に関した?」
「さやうで」
「ええ、それが焼きたかつたのに!」
口惜《くちを》しとの色は絶《したた》かその面《おもて》に上《のぼ》れり。貫一は彼が意見の父と相容《あひい》れずして、年来《としごろ》別居せる内情を詳《つまびら》かに知れば、迫《せ》めてその喜ぶべきをも、却《かへ》つてかく憂《うれひ》と為《な》す故《ゆゑ》を暁《さと》れるなり。
「家の焼けたの、土蔵の落ちたのは差支無《さしつかへな》いのです。寧《むし》ろ焼いて了はんければ成らんのでしたから、それは結構です。両親の歿《なくな》つたのも、私《わたくし》であれ、貴方であれ、かうして泣いて悲む者は、ここに居る二人きりで、世間に誰一人……さぞ衆《みんな》が喜んでゐるだらうと思ふと、唯親を喪《なくな》したのが情無《なさけな》いばかりではないのですよ」
されども堰《せき》敢《あ》へず流るるは恩愛の涙なり。彼を憚《はばか》りし父と彼を畏《おそ》れし母とは、決して共に子として彼を慈《いつくし》むを忘れざりけり。その憚られ、畏れられし点を除きて
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