を為《せ》んのだから、お前さんは縁を切つた気であらうが、私の方では未だ縁は切らんのだ。
 私は考へる、たとへばこの鴫沢の翁《をぢ》の為た事が不都合であらうか知れん、けれども間貫一たる者は唯一度の不都合ぐらゐは如何《いか》にも我慢をしてくれんければ成るまいかと思ふのだ。又その我慢が成らんならば、も少し妥当《おだやか》に事を為てもらひたかつた。私の方に言分のあると謂ふのは其処《そこ》だ。言はせればその通り私にも言分はある。然し、そんな事を言ひに来たではない、私の方にも如何様《いかさま》手落があつたで、その詫《わび》も言はうし、又昔も今も此方《こちら》には心持に異変《かはり》は無いのだから、それが第一に知らせたい。翁が久しぶりで来たのだ、のう、貫一さん、今日《こんにち》は何も言はずに清う会うてくれ」
 曾《かつ》て聞かざりし恋人が身の上の秘密よ、と満枝は奇《あやし》き興を覚えて耳を傾けぬ。
 我強《がづよ》くも貫一のなほ言《ものい》はんとはせざるに、漸《やうや》く怺《こら》へかねたる鴫沢の翁はやにはに椅子を起ちて、強《し》ひてもその顔見んと歩み寄れり。事の由は知るべきやう無けれど、この客の言《ことば》を尽せるにも理《ことわり》聞えて、無下《むげ》に打《うち》も棄てられず、されども貫一が唯涙を流して一語を出《いだ》さず、いと善く識るらん人をば覚無しと言へる、これにもなかなか所謂《いはれ》はあらんと推測《おしはから》るれば、一も二も無く満枝は恋人に与《くみ》してこの場の急を拯《すく》はんと思へるなり。
 枕頭《まくらもと》を窺《うかが》ひつつ危む如く眉を攅《あつ》めて、鴫沢の未《いま》だ言出でざる時、
「私《わたくし》看病に参つてをります者でございますが、何方様《どなたさま》でゐらつしやいますか存じませんが、この一両日《いちりようにち》病人は熱の気味で始終|昏々《うとうと》いたして、時々|譫語《うはごと》のやうな事を申して、泣いたり、慍《おこ》つたり致すのでございますが、……」
 頭を捻向《ねぢむ》けて満枝に対せる鴫沢の顔の色は、この時|故《ことさら》に解きたりと見えぬ。
「はあ、は、さやうですかな」
「先程から伺ひますれば、年来御懇意でゐらつしやるのを人違だとか申して、大相失礼を致してをるやうでございますが、やつぱり熱の加減で前後が解りませんのでございますから、どうぞお気にお懸け遊ばしませんやうに。この熱も直《ぢき》に除《と》れまするさうでございますから、又改めてお出《いで》を願ひたう存じます。今日《こんにち》は私御名刺を戴《いただ》いて置きまして、お軽快《こころよく》なり次第私から悉《くはし》くお話を致しますでございます」
「はあ、それはそれは」
「実は、何でございました。昨日もお見舞にお出で下すつたお方に変な事を申掛けまして、何も病気の事で為方《しかた》もございませんけれど、私弱りきりましたのでございます。今日《こんにち》は又|如何《いかが》致したのでございますか、昨日とは全《まる》で反対であの通り黙りきつてをりますのですが、却つて無闇《むやみ》なことを申されるよりは始末が宜《よろし》いでございます」
 かくても始末は善しと謂ふかと、翁《をぢ》は打蹙《うちひそ》むべきを強《し》ひて易《か》へたるやうの笑《ゑみ》を洩《もら》せば、満枝はその言了《いひをは》せしを喜べるやうに笑ひぬ。彼は婆を呼びて湯を易へ、更に熱き茶を薦《すす》めて、再び客を席に着かしめぬ。
「さう云ふ訳では話も解りかねる。では又上る事に致しませう。手前は鴫沢隆三と申して――名刺を差上げて置きまする、これに住所も誌《しる》してあります――貴方は失礼ながらやはり鰐淵《わにぶち》さんの御親戚ででも?」
「はい、親戚ではございませんが、鰐淵さんとは父が極御懇意に致してをりますので、それに宅がこの近所でございますもので、ちよくちよくお見舞に上つてはお手伝を致してをります」
「はは、さやうで。手前は五年ほど掛違うて間とは会ひませんので、どうか去年あたり嫁を娶《もら》うたと聞きましたが、如何《いかが》いたしましたな」
 彼はこの美き看病人の素性知らまほしさに、あらぬ問をも設けたるなり。
「さやうな事はついに存じませんですが」
「はて、さうとばかり思うてをりましたに」
 容儀《かたち》人の娘とは見えず、妻とも見えず、しかも絢粲《きらきら》しう装飾《よそほひかざ》れる様は色を売る儔《たぐひ》にやと疑はれざるにはあらねど、言辞《ものごし》行儀の端々《はしはし》自《おのづか》らさにもあらざる、畢竟《ひつきよう》これ何者と、鴫沢は容易にその一斑《いつぱん》をも推《すい》し得ざるなりけり。されども、懇意と謂ふも、手伝と謂ふも、皆|詐《いつはり》ならんとは想ひぬ。正《ただし》き筋の知辺《しるべ
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