の面《つら》を蹈んだ」
「でも仕合《しあはせ》と皮の厚いところで」
「怪《け》しからん!」
妻の足の痛《いたみ》は忽《たちま》ち下腹に転《うつ》りて、彼は得堪へず笑ふなりけり。
風「常談どころぢやない、下では苦しんでゐる人があるのだ」
蒲「その苦しめてゐる奴だ、不思議ぢやないか、間だよ、あの間貫一だよ」
敵寄すると聞きけんやうに風早は身構へて、
「間貫一、学校に居た?!」
「さう! 驚いたらう」
彼は長き鼻息を出して、空《むなし》く眼《まなこ》を※[#「※」は「目+登」、152−8]《みは》りしが、
「本当かい」
「まあ、見て来たまへ」
別して呆《あき》れたるは主《あるじ》の妻なり。彼は鈍《おぞ》ましからず胸の跳《をど》るを覚えぬ。同じ思は二人が面《おもて》にも顕《あらは》るるを見るべし。
「下に参つてゐるのは御朋友《ごほうゆう》なのでございますか」
蒲田は忙《せは》しげに頷《うなづ》きて、
「さうです。我々と高等中学の同級に居つた男なのですよ」
「まあ!」
「夙《かね》て学校を罷《や》めてから高利貸《アイス》を遣つてゐると云ふ話は聞いてゐましたけれど、極温和《ごくおとなし》い男で、高利貸《アイス》などの出来る気ぢやないのですから、そんな事は虚《うそ》だらうと誰も想つてをつたのです。ところが、下に来てゐるのがその間貫一ですから驚くぢやありませんか」
「まあ! 高等中学にも居た人が何だつて高利貸などに成つたのでございませう」
「さあ、そこで誰も虚《うそ》と想ふのです」
「本《ほん》にさうでございますね」
少《すこし》き前に起ちて行きし風早は疑《うたがひ》を霽《はら》して帰り来《きた》れり。
「どうだ、どうだ」
「驚いたね、確に間貫一!」
「アルフレッド大王の面影《おもかげ》があるだらう」
「エッセクスを逐払《おつぱら》はれた時の面影だ。然し彼奴《あいつ》が高利貸を遣らうとは想はなかつたが、どうしたのだらう」
「さあ、あれで因業《いんごう》な事が出来るだらうか」
「因業どころではございませんよ」
主《あるじ》の妻はその美き顔を皺《しわ》めたるなり。
蒲「随分|酷《ひど》うございますか」
妻「酷うございますわ」
こたびは泣顔せるなり。風早は決するところ有るが如くに余せし茶をば遽《にはか》に取りて飲干し、
「然し間であるのが幸《さいはひ》だ、押掛けて行つて、昔の顔で一つ談判せうぢやないか。我々が口を利くのだ、奴もさう阿漕《あこぎ》なことは言ひもすまい。次手《ついで》に何とか話を着けて、元金《もときん》だけか何かに負けさして遣らうよ。那奴《あいつ》なら恐れることは無い」
彼の起ちて帯締直すを蒲田は見て、
「まるで喧嘩《けんか》に行くやうだ」
「そんな事を言はずに自分も些《ちつ》と気凛《きりつ》とするが可い、帯の下へ時計の垂下《ぶらさが》つてゐるなどは威厳を損じるぢやないか」
「うむ、成程」と蒲田も立上りて帯を解けば、主《あるじ》の妻は傍《かたはら》より、
「お羽織をお取りなさいましな」
「これは憚様《はばかりさま》です。些《ちよつ》と身支度に婦人の心添《こころぞへ》を受けるところは堀部安兵衛《ほりべやすべえ》といふ役だ。然し芝居でも、人数《にんず》が多くて、支度をする方は大概取つて投げられるやうだから、お互に気を着ける事だよ」
「馬鹿な! 間《はざま》如きに」
「急に強くなつたから可笑《をかし》い。さあ。用意は好《い》いよ」
「此方《こつち》も可《い》い」
二人は膝を正して屹《き》と差向へり。
妻「お茶を一つ差上げませう」
蒲「どうしても敵討《かたきうち》の門出《かどで》だ。互に交す茶盃《ちやさかづき》か」
第 六 章
座敷には窘《くるし》める遊佐と沈着《おちつ》きたる貫一と相対して、莨盆《たばこぼん》の火の消えんとすれど呼ばず、彼の傍《かたはら》に茶托《ちやたく》の上に伏せたる茶碗《ちやわん》は、嘗《かつ》て肺病患者と知らで出《いだ》せしを恐れて除物《のけもの》にしたりしをば、妻の取出してわざと用ゐたるなり。
遊佐は憤《いきどほり》を忍べる声音《こわね》にて、
「それは出来んよ。勿論《もちろん》朋友《ほうゆう》は幾多《いくら》も有るけれど、書替の連帯を頼むやうな者は無いのだから。考へて見給へ、何《なん》ぼ朋友の中だと云つても外の事と違つて、借金の連帯は頼めないよ。さう無理を言つて困らせんでも可いぢやないか」
貫一の声は重きを曳《ひ》くが如く底強く沈みたり。
「敢《あへ》て困らせるの、何のと云ふ訳ではありません。利は下さらず、書替は出来んと、それでは私《わたくし》の方が立ちません。何方《どちら》とも今日は是非願はんければならんのでございます。連帯と云つたところで、固《もと》より貴方《あなた》がお引
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