話声の洩《も》れけれど、調子の低かりければ此方《こなた》には聞知られざりき。彼等は久くこの細語《ささめごと》を息《や》めずして、その間一たびも高く言《ことば》を出《いだ》さざりしは、互にその意《こころ》に逆《さか》ふところ無かりしなるべし。
「きつと? きつとですか」
始て又明かに聞えしは女の声なり。
「さうすれば私もその気で居るから」
かくて彼等の声は又低うなりぬ。されど益す絮々《じよじよ》として飽かず語れるなり。貫一は心陰《こころひそか》に女の成効を祝し、かつ雅之たる者のこれが為に如何《いか》に幸《さいはひ》ならんかを想ひて、あたかも妙《たへ》なる楽の音《ね》の計らず洩聞《もれきこ》えけんやうに、憂《う》かる己をも忘れんとしつ。
今かの娘の宮ならば如何《いか》ならん、吾かの雅之ならば如何ならん。吾は今日《こんにち》の吾たるを択《えら》ぶ可《べ》きか、将《はた》かの雅之たるを希《こひねが》はんや。貫一は空《むなし》うかく想へり。
宮も嘗《かつ》て己に対して、かの娘に遜《ゆづ》るまじき誠を抱《いだ》かざるにしもあらざりき。彼にして若《も》し金剛石《ダイアモンド》の光を見ざりしならば、また吾をも刑余に慕ひて、その誠を全《まつた》うしたらんや。唯継《ただつぐ》の金力を以て彼女を脅《おびやか》したらんには、またかの雅之を入獄の先に棄てたりけんや。耀《かがや》ける金剛石《ダイアモンド》と汚《けが》れたる罪名とは、孰《いづれ》か愛を割《さ》くの力多かる。
彼は更にかく思へり。
唯その人を命として、己《おのれ》も有らず、家も有らず、何処《いづこ》の野末《のずゑ》にも相従《あひしたが》はんと誓へるかの娘の、竟《つひ》に利の為に志を移さざるを得べきか。又は一旦その人に与へたる愛を吝《をし》みて、再び価高く他に売らんと為るなきを得べきか。利と争ひて打勝れたると、他の愛と争ひて敗れたると、吾等の恨は孰に深からん。
彼は又かくも思へるなり。
それ愛の最も篤《あつ》からんには、利にも惑はず、他に又|易《か》ふる者もあらざる可きを、仮初《かりそめ》もこれの移るは、その最も篤きにあらざるを明《あか》せるなり。凡《およ》そ異性の愛は吾愛の如く篤かるを得ざる者なるか、或《ある》は己の信ずらんやうに、宮の愛の特《こと》に己にのみ篤からざりしなるか。吾は彼の不義不貞を憤るが故《ゆゑ》に
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