この夫に対する仕向《しむけ》は両三年来の平生《へいぜい》を貫きて、彼の性質とも病身の故《ゆゑ》とも許さるるまでに目慣《めなら》されて又|彼方《あなた》よりも咎められざるなり。それと共に唯継の行《おこなひ》も曩日《さきのひ》とは漸《やうや》く変りて、出遊《であそび》に耽《ふけ》らんとする傾《かたむき》も出《い》で来《き》しを、浅瀬《あさせ》の浪《なみ》と見《み》し間《ま》も無く近き頃より俄《にはか》に深陥《ふかはまり》して浮《うか》るると知れたるを、宮は猶《なほ》しも措《お》きて咎めず。他《ひと》は如何《いか》にとも為《せ》よ、吾身は如何にとも成らば成れと互に咎めざる心易《こころやす》さを偸《ぬす》みて、異《あやし》き女夫《めをと》の契を繋《つな》ぐにぞありける。
 かかれども唯継はなほその妻を忘れんとはせず。始終の憂《うき》に瘁《やつ》れたる宮は決して美《うつくし》き色を減ぜざりしよ。彼がその美しさを変へざる限は夫の愛は虧《か》くべきにあらざりき。抑《そもそ》もここに嫁《とつ》ぎしより一点の愛だに無かりし宮の、今に到りては啻《ただ》に愛無きに止《とどま》らずして、陰《ひそか》に厭《いと》ひ憎めるにあらずや。その故に彼は漸く家庭の楽からざるをも感ずるにあらずや。その故に彼は外に出でて憂《うさ》を霽《はら》すに忙《いそがはし》きにあらずや。されども彼の忘れず塒《ねぐら》に帰り来《きた》るは、又この妻の美き顔を見んが為のみ。既にその顔を見了《みをは》れば、何ばかりの楽《たのしみ》のあらぬ家庭は、彼をして火無き煖炉《ストオブ》の傍《かたはら》に処《をら》しむるなり。彼の凍えて出《い》でざること無し。出《い》づれば幸ひにその金力に頼《よ》りて勢を得、媚《こび》を買ひて、一時の慾を肆《ほしいま》まにし、其処《そこ》には楽むとも知らず楽み、苦むとも知らず苦みつつ宮が空《むなし》き色香《いろか》に溺《おぼ》れて、内にはかかる美きものを手活《ていけ》の花と眺《なが》め、外には到るところに当世の※[#「※」は「鬲+(栩−木)」、305−6]《はぶし》を鳴して推廻《おしまは》すが、此上無《こよな》う紳士の願足れりと心得たるなり。
 いで、その妻は見るも厭《いとはし》き夫の傍《そば》に在る苦を片時も軽くせんとて、彼の繁《しげ》き外出《そとで》を見赦《みゆる》して、十度《とたび》に一度《
前へ 次へ
全354ページ中224ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング