《ただ》一毛に値する一秒の壱銭|乃至《ないし》拾銭にも暴騰せる貴々重々《ききちようちよう》の時は、速射砲を連発《つるべうち》にするが如く飛過《とびすぐ》るにぞ、彼等の恐慌は更に意言《こころことば》も及ばざるなる。
その平生《へいぜい》に怠無《おこたりな》かりし天は、又今日に何の変易《へんえき》もあらず、悠々《ゆうゆう》として蒼《あを》く、昭々として闊《ひろ》く、浩々《こうこう》として静に、しかも確然としてその覆《おほ》ふべきを覆ひ、終日《ひねもす》北の風を下《おろ》し、夕付《ゆふづ》く日の影を耀《かがやか》して、師走《しはす》の塵《ちり》の表《おもて》に高く澄めり。見遍《みわた》せば両行の門飾《かどかざり》は一様に枝葉の末広く寿山《じゆざん》の翠《みどり》を交《かは》し、十町《じつちよう》の軒端《のきば》に続く注連繩《しめなは》は、福海《ふくかい》の霞《かすみ》揺曳《ようえい》して、繁華を添ふる春待つ景色は、転《うた》た旧《ふ》り行く歳《とし》の魂《こん》を驚《おどろ》かす。
かの人々の弐千余円を失ひて馳違《はせちが》ふ中を、梅提げて通るは誰《た》が子、猟銃|担《かた》げ行くは誰が子、妓《ぎ》と車を同《おなじ》うするは誰が子、啣楊枝《くはへようじ》して好き衣《きぬ》着たるは誰が子、或《あるひ》は二頭|立《だち》の馬車を駆《か》る者、結納《ゆひのう》の品々|担《つら》する者、雑誌など読みもて行く者、五人の子を数珠繋《ずずつなぎ》にして勧工場《かんこうば》に入《い》る者、彼等は各《おのおの》若干《そこばく》の得たるところ有りて、如此《かくのごと》く自ら足れりと為《す》るにかあらん。これ等の少《すこし》く失へる者は喜び、彼等の多く失へる輩《はい》は憂ひ、又|稀《まれ》には全く失はざりし人の楽めるも、皆内には齷齪《あくそく》として、盈《み》てるは虧《か》けじ、虧けるは盈たんと、孰《いづれ》かその求むるところに急ならざるはあらず。人の世は三《みつ》の朝《あした》より花の昼、月の夕《ゆふべ》にもその思《おもひ》の外《ほか》はあらざれど、勇怯《ゆうきよう》は死地に入《い》りて始て明《あきらか》なる年の関を、物の数とも為《せ》ざらんほどを目にも見よとや、空臑《からすね》の酔《ゑひ》を踏み、鉄鞭《てつべん》を曳《ひ》き、一巻のブックを懐《ふところ》にして、嘉平治平《かへいじひら》
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