も儚《はかな》き身の上と切なき胸の内とを独《ひとり》自ら愬《うつた》へんとてなり。

     (二) の 二

 宮は貫一が事を忘れざるとともに、又長く熱海の悲き別を忘るる能《あた》はざるなり。更に見よ。歳々《としどし》廻来《めぐりく》る一月十七日なる日は、その悲き別を忘れざる胸に烙《やきがね》して、彼の悔を新にするにあらずや。
「十年|後《のち》の今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから、月が曇つたらば、貫一は何処《どこ》かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると想ふが可い」
 掩《おほ》へども宮が耳は常にこの声を聞かざるなし。彼はその日のその夜に会ふ毎に、果して月の曇るか、あらぬかを試《こころみ》しに、曾《かつ》てその人の余所《よそ》に泣ける徴《しるし》もあらざりければ、さすがに恨は忘られしかと、それには心安きにつけて、諸共《もろとも》に今は我をも思はでや、さては何処《いづこ》に如何《いか》にしてなど、更に打歎《うちなげ》かるるなりき。
 例のその日は四《よ》たび廻《めぐ》りて今日しも来《きた》りぬ。晴れたりし空は午後より曇りて少《すこし》く吹出《ふきい》でたる風のいと寒く、凡《ただ》ならず冷《ひ》ゆる日なり。宮は毎《いつ》よりも心煩《こころわづらはし》きこの日なれば、かの筆採りて書続けんと為《し》たりしが、余《あまり》に思乱るればさるべき力も無くて、いとどしく紛れかねてゐたり。
 益《ますま》す寒威の募るに堪へざりければ、遽《にはか》に煖炉《だんろ》を調ぜしめて、彼は西洋間に徙《うつ》りぬ。尽《ことごと》く窓帷《カアテン》を引きたる十畳の間《ま》は寸隙《すんげき》もあらず裹《つつ》まれて、火気の漸《やうや》く春を蒸すところに、宮は体《たい》を胖《ゆたか》に友禅縮緬《ゆうぜんちりめん》の長襦袢《ながじゆばん》の褄《つま》を蹈披《ふみひら》きて、緋《ひ》の紋緞子《もんどんす》張の楽椅子《らくいす》に凭《よ》りて、心の影の其処《そこ》に映るを眺《なが》むらんやうに、その美き目をば唯白く坦《たひら》なる天井に注ぎたり。
 夫の留守にはこの家の主《あるじ》として、彼は事《つか》ふべき舅姑《きゆうこ》を戴《いただ》かず、気兼すべき小姑《こじうと》を抱《かか》へず、足手絡《あしてまとひ》の幼きも未《ま》だ有らずして、一箇《ひとり》の仲働《なかばたらき》と両箇《ふたり》の
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