るけはいがした。そして私は夢から醒めたようなぽかんとした気持ちになった。彼の世界がはっと身をかわして、物影に引き込んだのである。
 知らない新らしい客は二人の洋服の男だった。彼等は呑気に中央の大きい卓子にかけて珈琲を飲んでいる。彼等は何にも知らないんだ。そして何にも見えないんだ。
 私はふっと解放された自分を見出したけれど、室の隅々から、私をじっと窺っている無数の眼をはっきりと知っていた。彼奴だ、彼奴がその中に居るんだ。二人きりの沈黙の時が来たら、今にも其処から飛び出して私を捕えようとしているんだ。四方からじっと隙を窺っているんだ。
 私はその時は堅く堅く心を閉す必要はなかったのだ。然しそれだけ不安が大きかったのだ。私はぶるぶる震え乍ら漸々そのカフェーから逃げ出すことが出来た。

 ――悶え乍らも私はやはり彼の方へぐんぐん引きつけられてゆく外はなかった。力をこめてぶつかって行こうとすれば、ふうわりと大きいものの中に彼は私を包んでしまうのだ。
 私達の何れかが何かを飲んでいる時、それを見て後から来た方が同じものを注文するのは別に不思議はないんだ。然し私は只頭の中で考えたきりじっとしている
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