るのだ。顔を挙げて彼女を見ると、彼女も私の眼にひたとその眼眸を押しつけてくる。何も見ていない白痴の眼だ。私は溜息をついた。先刻の一瞬、生々と蘇った彼女の眼のことを、私は思い出した。
冒険をしてやろう。
「追分口の方へ降りてみようか。」と私は言った。
「道がありますの。」
「ある筈だ。無くたって構やしない。」
起伏してる丘陵を越えて、遙かにアルプスの連峯が立ち並んでいる。地平は遠い。すぐ眼の下が追分駅だ。その辺一帯に落葉松の林が拡がっている。その林の方を目指して、いい加減に路を選び、私達は山を降りて行った。酒と彼女とに別れない限り、それぐらいの冒険が私に残されてるに過ぎなかった。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「改造文芸」
1949(昭和24)年5月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年9月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全14ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング