は既に明るいが、地上にはまだ薄闇が漂っていて、火口壁のあちこちに、粗らな人影が影絵のように見える。火口の縁に辿りつくと、硫黄の匂いと大きな轟きとに包まれる。
深く大きくえぐれた端正な噴火口である。底の一部に、ぐらぐら沸き立ってる赤熱があって、そこから噴煙が立ち昇り、渦巻く気流に従って、噴煙は火口一杯に立ち籠め、或はすーっと一方の火口壁から流れ出す。断崖の肌が、灰色に赤や青の点彩をつけて、現われたり隠れたりする。
「まあ、きれい。」
秋子は嘆声を発して、火口を覗きこんでいる。
私はぎくりとして身を退いた。ふしぎなことに、噴火口を見た時から、彼女の存在を忘れていた。それが突然、彼女の嘆声によって、夢から呼び覚された工合になった。彼女がすぐそこに居たのだ。淡緑色の簡素なスーツをつけ、髪は宿での和服の時とちがい、頸すじに梳かし流し、横顔が蝋のように白い。足元には、数十メートルの断崖と、赤熱の熔炉。危ない。彼女のためにではなく、自分自身に私は感じた。夢の中で見るのと、同じ危険だ。底知れぬ断崖の上に立ち、一歩誤れば、その奈落に墜落するばかりで、もう既に足場はなく、墜落の手前の一瞬間、恐怖がぞっと全身に流れる、あの危険だ。そしてその危険が、私から彼女へ伝わる。彼女は振り向いた。表情もなにも私の眼にはいらない。私は飛びついた。彼女を突き落すか、彼女と一緒に転げこむか。私は飛びついて、然し、後方へ引き倒した。
彼女は砂上にのび、私はそばに屈みこんでその腕を捉えていた。
「危ない。」
彼女は半身を起して、私を見守った。
「危ないじゃないか。」
私は怒鳴りつけた。彼女は私の顔を見つめた。私の激しい憤怒に、彼女は圧倒されたようで、口を利けず、じっと見つめてるだけだ。その眼が、違っていた。ぴたりと張りつくだけで何にも見えない眼眸ではなく、生々と光って、何かを探りあてようとする視力だ。私は彼女の肩を抱き、そして囁いた。
「心配しないでもいい。」
彼女は頷いたが、何を頷いたのか私にも分らず、ただ白々しい気持ちになった。私は立ち上り、彼女も立ち上り、そして火口を離れて歩きだした。
夜は明けてきた。火口の中にも明るみがさして、底の赤熱の光りは淡くなり、ただいぶってるだけである。中天はもう青く冴え、東の空の薄靄の中に、白い太陽が浮き出している。
岩かげの地面に腰を下して、私達は弁当を
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