に皺を刻むことさえなく、僅かに腹部を波動させるだけである。そしてオルガスムの後で、私の胸に顔を埋めて、くくくくと笑う。何か悪戯をした後の子供のような忍び笑いだ。羞恥の笑いでもなく、人をばかにした笑いでもない。くくくく、ただ本能的な反射的な笑いだ。それが私の心をすっかり冷してしまう。可愛いと思うどころか、何かの欠陥に突き当った感じである。
 どうかすると、眼をあけて、と彼女は言うことがある。あたしの眼を見て、と言うことがある。それだけが唯一の要求だ。さすがに大きくは眼を開けず、薄目をあけて彼女の眼に見入るのだが、その視線を彼女の眼は呑みこみ、ぼーとした夜燈の薄明りの中で、彼女の眼は空洞のようにも思える。その空洞に柔かな白いものが一杯つまり、黒目が液体となってとろけ、瞳孔は拡大したままで、私の方に覆いかぶさってくる。物を見てる眼ではない。かぶさってきて、膏薬のようにひたりとくっつき、相手の息の根を塞いでしまう眼だ。
 その眼を、私はいつも自分の肌に感じた。
 秋子は一人になるのを嫌った。外に出歩くのを好まず、随って私も宿の室に引籠っていなければならない。高原の風物も、初夏の中空に立ち昇る浅間の噴煙も、彼女の興味をあまり引かないらしい。私は寝ころんで文庫本を読み、彼女はトランプの独り占いなどをやる。何のためにこんな処まで来たのだか分らない。酒を飲み、飯を食い、湯にはいるだけのことだ。話の種もあまりない。二人くっついていて、そして……情死を躊躇してる男女のようにも見えるだろう。
 宿のわきに、ささやかな渓流がある。私は浴衣と丹前の姿でぶらりと脱け出す。渓流の水は少く、河原が広くて、灌木や雑草が茂っている。河原伝いに、ほそぼそと路が続いている。私はその路をさか上ってゆく。白や赤の花が咲いている。思わぬところから小鳥が飛び立つ。人影はない。路はとぎれがちで、やがて叢の中に迷いこんでしまう。河原におりてゆき、大きな石に腰をおろすと、浅間の噴煙が真正面に見える。
 噴煙とも思えないほどの、静かな白い煙である。空は青くあくまでも高い。その中空に、円みをもって盛り上ってる峯から、煙はゆるやかに流れて、行方も分らず消え失せる。頼りなく淋しい。剛壮な気など少しもない。私の心がそうだからであろうか。軽く眩暈がするようだ。顔を伏せて河原の小石を眺める。初夏の陽は照っているのに、その温かみを背に
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