く、ほろりとしかけると、女はもう待ちきれなくなって、わっと、男の膝にとりすがって、声を立てて泣きだしてしまった。
「あたし、何ともない……。ちっとも、苦しくないわ……。どうしたの。え、どうしたんでしょう。まだなの。何ともないわ。」
肩を痙攣さして、胸を波打たして、必死で、本気で、泣きだしてしまったのである。
そこで、男は、はっとした。我に返ってみると、小瓶の中のは、劇薬ではなくて、一寸色をつけた普通の水で、女の心をためすための芝居だったのである。
何ともないといって女が泣きだそうとは、男の夢にも予期しなかったことで、お芝居どころか、その場の処置には、全く困りはてたという。
*
或る芸妓が、料亭から呼ばれて、早く来いというので、急いでかけつけてみると、奥の離れで、かねて懇意なお客と、も一人顔馴染のない男とが、しんみりと飲んでいた。何か密談でもの後らしい。
「少し賑かにやってくれ。」
云われるまでもなく、酒も好き、騒ぎも好き、口も達者……。
だが、そうして騒いでいるうちに、一方の初対面のお客、場所馴れてることは一目で分るが、話しの調子、言葉のふしぶし、どうも少し変だ
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