りきった文句を、一々ノートにとって、それを紋切形字典と名づけた。それには、あらゆる場合に、最も普通の人が最も普通に使う文句が、アルファベット順に配列されていた。そしてそれは、紋切形の習慣に囚われている人間の生活が、如何に愚かしくばかばかしいものであるかを、憤激の念で現わそうとしたものであった。
 こういう紋切形字典――それを想像してみるだけでも、そして一寸でも自分自身を省みてみるならば猶更、おのずから人生の愚劣さに眉が顰めらるるのであるが、それに対抗するものの一つとして、反故に似た種々の小話が、至るところに散らばっている。或は心理の深みを示し、或は性格の多種多様さを示して、人生に一種の立体感を与えてくれないでもない。
 吾々は日常、そういう小話をいくつも耳にしている。積ったら、なかなか葛籠などには盛りきれないだろう。試みに、その二三を手当り次第に取出してみようならば、――
      *
 或る中年の男が、若い芸妓と馴染を重ねて、この女とならば一生を……というところまできた。が何しろ相手は芸妓稼業の身、商売気はなれた心中立にも、裏には裏があるものやも知れず、あれかこれかと、女の心底を、
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