ではない。多少の忍耐と根気とがあれば、そして察知の明を以てすれば、比較的容易くなされる。
殆んど世に忘れられていた唐人お吉を、あらためて蘇生させるに当って、いろいろな反故のたぐいが、如何に重大な役目をしたかを、私は直接当事者たちから聞いたことがある。唐人お吉の最初のそして最も深い研究者たる村松春水氏、並に、唐人お吉を最初にそして最もよく書き生かした十一谷義三郎氏は、いつでもこのことを立証してくれるであろう。種々の記録や口碑よりも、一寸した受取書や走り書の断片などが、お吉の生活の面貌をより多く伝えてくれたそうである。
*
田舎の旧家などにいろんな反故が残っているように、都会の街路などには、いろんな話が落ち散っている。何かの談話のついでにもちだされて、一寸微笑を誘ったままで、聞き流され、忘れ去られるような話が、あちらこちらに転っている。誰も頭にとめようとする者はないが、少しく注意してみると、案外、心理の機敏を穿ったものや、性格の圭角を現わしたものが、いくらもある。
昔、フローベルは、新年の挨拶から、祝儀不祝儀の挨拶、其他、社会生活のきまりきった時に或は事柄に、人が使うきま
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