信じながらも測りかねて、日を重ねているうちに、金にも困るし……或る夜のこと、――
男は、凡そ悲壮な限りの顔付をして、いっそのこと、一緒に死んでしまおうかと、淡色のとろりとした液体の小瓶を、女の前に差置いたのである。
「あたし、生きるも死ぬるも、とうからあなたにお任せしているのよ。」
事もなげに、にっこり笑った顔が、ふだんより一層晴れやかで美しい。
どうせ死ぬのだ、書置きも何もいるものか。ただ、一杯のんで、ゆっくり話してから……。だが、そう掛ってみると、さすがに、酒もまずく、話もとだえがちで、時間だけがいやに早くなって、夜はしいんと更けて肌寒い。
それでは……覚悟はとうに出来ているし、もう深刻も悲壮もなく、心気落ち沈んだまじまじとした気持で、小瓶の液体を盃に受けて、男がぐいと干せば、女はそれでも眼をつぶって、一息に飲んでしまった。
時は秒を到んでゆく。だが、薬液の効果はなかなか現われない。
「まだ……何ともないわ。」
「今に……苦しくなるよ。」
「そう。」
その素純な眼付から、男は眼を外らす。その眼を、女は追っかけてくる。
「まだかしら……。」
男の眼頭が熱くなって、あぶなく、ほろりとしかけると、女はもう待ちきれなくなって、わっと、男の膝にとりすがって、声を立てて泣きだしてしまった。
「あたし、何ともない……。ちっとも、苦しくないわ……。どうしたの。え、どうしたんでしょう。まだなの。何ともないわ。」
肩を痙攣さして、胸を波打たして、必死で、本気で、泣きだしてしまったのである。
そこで、男は、はっとした。我に返ってみると、小瓶の中のは、劇薬ではなくて、一寸色をつけた普通の水で、女の心をためすための芝居だったのである。
何ともないといって女が泣きだそうとは、男の夢にも予期しなかったことで、お芝居どころか、その場の処置には、全く困りはてたという。
*
或る芸妓が、料亭から呼ばれて、早く来いというので、急いでかけつけてみると、奥の離れで、かねて懇意なお客と、も一人顔馴染のない男とが、しんみりと飲んでいた。何か密談でもの後らしい。
「少し賑かにやってくれ。」
云われるまでもなく、酒も好き、騒ぎも好き、口も達者……。
だが、そうして騒いでいるうちに、一方の初対面のお客、場所馴れてることは一目で分るが、話しの調子、言葉のふしぶし、どうも少し変だ。そう思うと、根が、遠慮のないそそっかしいのだから――。
「こちら、いやに抹香くさいわね。」
云ってのけると、懇意な方のが、はっと顔色を変えて、意味ありげな目配せをした。そこで、ははんと思った。まではよかったが、その抹香くさいのが、初めっから左を懐手にして、脇息にもたれてる様子が、いやに横柄に見えて仕方がない。芸者商売はしてても……とそういう伝法な気持に、酒がまわったから、たまらない。つかつかとよっていって、盃をさしつけたものだ。
「どうなすったのよ。不精ったらしく澄まし返ってさ。」
云いながら、懐手の方に、肩から腕へ、手をかけた。その手が、お召の羽織をするりと辷って、袖がふうわりと……腕がないのだ。
「ばか……失敬な。」
と懇意な方が叫んだが、もう取り返しはつかない。女はてれるし、男は二の句がつげなかった。が当の御本人だけは、苦笑をしながら、片手の右で盃を差出していたという。
後で、男は云った。――「あの人はね、僕が一寸頼みごとをした、大事な客だったんだ。或る寺の住職の、二男坊で、片手がないんだ。抹香くさいまでは、まだいいとして、手のないところに触ってみるって法があるものか。そそっかしいにも程があるよ。お蔭で冷汗をかいちゃった。」
*
或る貧しい男が、帽子をなくして、なあに、無帽主義だと、ハイカラを気取っていたところ、金が少しはいると、時たま、頭にひやりとしたものを感じて、やはり、帽子を買うことにした。
そこで、帽子屋にはいって、物色してみたが、どうも気に入ったのがない。折角買うんだし、頭にのっけるものだから、慎重を要するので、いろいろいじりまわした後で、顔をしかめて、店をとびだした。丁度、ほかにも客があったので、好都合だった。
ところが、少し歩いてるうちに、どうも、変な気持だ……と感づくと同時に、頭に手をやると、帽子がのっかっている。
立止った拍子に、腹が立って、当惑して、かっとなって、急ぎ足に帽子屋にとって返した。
「おい、何をうっかりしてるんだ。僕が帽子をかぶってたかどうかくらい、分りそうなもんじゃないか。人の頭に新らしい帽子をのっけて、そのままにしとくという法はない。万引じゃあるまいし……注意し給え。」
そして帽子をそこにたたきつけた時には、彼は本当に怒っていた。
*
こうした話を――落ち散ってる話の屑を――次々
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