楊先生
豊島与志雄
楊先生――私達の間では彼はいつもそう呼ばれた。一種の親しみと敬意とをこめた呼称なのである。父は日本人で、母は中国人であって、中華民国に国籍がある。
長らく東京の本郷区内に住んでいたが、最近、関西方面へ飄然と旅立っていった。恐らく、中国へ帰るつもりでいるらしいと、私には思える。追想は深い。
この楊先生を、今年の三月の或る夕方、私は通りがかりに訪れてみたことがある。
「只今、お仕事中ですから、こちらへ御通り下さい。」
女中はそう言って、私を、玄関から裏庭の方へ導いた。仕事中なら書斎の方だろうと思ったのだが、黙って女中について行くと、狭い裏庭の真中に大きな石が据えてある、その石に、楊先生は腰をおろして、煙草をふかしていた。薄いシャツとズボン下だけのみなりで、腰に帯を巻きしめ、汚れた手拭を帯にさしはさみ、足には支那靴をはいている。傍には、古材木が重み積ねてあり、鋸や大鉈小鉈が揃えてある。
私は微笑した。
「仕事というから、なんだと思ったら、薪割りですか。」
「そうです。下男の仕事です。似合うでしょう。」
楊先生は真面目にそう言った。中国の普通の家庭では、家の主
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