宅するところです。或る会合に行ったのですが、実にくだらない。」
如何にもくだらなさそうに彼は言ったが、顔には笑みを浮べていた。
「面白くないことでもあったのですか。」
「面白くないというよりも、くだらないんです。」
そして彼は少し真剣になにか考えた。
「嘗て、あなた達はこういうことを言ったでしょう。中国の知識人たちがすべて、ひどく政治に関心を持ってるのが、不思議でたまらないと。然し、今日、終戦後のこの頃、日本の知識人たちはどうですか。みな政治への関心で一杯ではありませんか。もし政治が現在のような段階に終始するならば、政治なんか糞くらえと、政治を勇敢に否定する者が一人でもあったら、私はその人と握手しますね。」
「では、私と握手しましょう。」
彼は私の顔をじっと見て、それから笑いだして、私の手を握りしめた。
そこで、私達は煙草に火をつけてふかした。
「電車、なかなか来ませんね。」と彼は言った。
「車台が少いものですから。退屈でしょう。」
「そうでもありませんよ。」と彼は温和な微笑を浮べた。「人生はすべて行列だ、というようなことを考えていました。学校にはいるにも行列、就職するにも行列、陞進するにも行列、多少の例外を除いては、すべて行列ではありませんか。だから、行列がいやな者は、電車に乗らなければいいんです。学校にもはいらず、就職もしなければいいんです。」
「あなた自身はどうします。」
「私ですか。」
彼は楽しそうに笑った。
「電車に乗ってもよいし、乗らなくてもよいし、どうしましょうか。」
尋ねかけながら、彼は行列を離れて歩きだした。電車軌道を横ぎって、濠端に出ると、大勢の人が、アメリカ軍の兵士も交って、濠の鯉を見ていた。
黒鯉を主として、緋鯉やドイツ鯉を交えた群が、まるまると肥って、水中に群がり躍っている。食糧の余りなどが、あちこちから投げ与えられると、鯉はどっと集まってゆき、餌を食いつくすと、また散らばってその辺を泳ぎ遊ぶ。
楊先生と私は、それらの鯉を、長い間眺めていたのである。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
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