ている。焼けトタンや焼け瓦を取り除いたならば、それらは如何に魅力を以て輝き出すことであろうか。
「この都市に生れて育った人々が、故郷という観念を持ち得るものとしたら、そういう風物についてであるに相違ないのです。それ以外に、都会人は故郷の観念を持ち得ないでしょう。」
私は微笑した。
「然し、町には町の風格があるでしょう。街路の曲り工合とか家並の連り工合とかがかもし出す一種の雰囲気ですね。それから各種の年中行事、殊に祭礼などは、町の風格の大きな要素となります。そういう風格が、都会人にとっては、故郷という観念を形成してくれはしないでしょうか。」
「それは違います。私が言うのは、生活的故郷でなくて、自然的故郷、浮動的な追憶的なそれでなくて、固定的な現実的なそれです。」
楊先生のこの理論は、私には分ったような分らないような、まあ曖昧模糊たるものであった。だが実際は、楊先生も、なにか曖昧模糊たる夢想を楽しんでいたに違いない。暫くすると、彼はぽつりと言いだした。
「この焼け跡を眺めながら、私は故郷のことをへんになつかしく想い起しますよ。」
彼の故郷は揚子江岸にある。その赤濁りの漫々たる大河が、この広々とした焼け野原と、異邦にある彼の脳裏で何かの関連を持ったのでもあろうか。
残念なことに、この時の話はまもなく打ち切られた。空襲警報が遠くから響いてきたのである。焼け野原のなかで詳しい情報は知る由もなく、私は危なげな腕前で自転車を走らせねばならなかった。
坂にさしかかって、自転車から降りて振り返ると、彼方に、楊先生はゆったりとした散歩の調子で、歩いてゆくのであった。
それからも一度、私は楊先生に逢った。終戦後、九月下旬の午後のことである。
私は日比谷の四辻を通りかかった。公園前の電車停留場には、乗客が長い列を作っていた。その列のなかに、私は長身の楊先生を見かけた。先方でも、列から少しはみ出しかげんに佇んで、わき見をしていたので、歩道を通りかかる私にすぐ気づいた。
私は別に急ぐ用もなかったので、彼が電車を待つ退屈を多少ともまぎらしてやるつもりで、傍に行って話をした。
彼ははでな仕立の背広服をつけ、チョコレート色の短靴、薄茶色のソフト帽、籐のステッキという、すきのない身装をしていた。
私は微笑して、彼の薪割り姿や焼け跡の散歩姿を思い浮べた。
「どちらへ。」
「これから帰
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