、おかしいわね。」
「いえ、わたくしが信じてるというのじゃありませんよ。ただ、ちょっと気になることがあって、それからだんだん聞いてみると、どうもへんなんですのよ。」
「へんなこと、つまり理外の理というのでしょうか、世の中にはたくさんありますわ。」
「それがねえ……。」
村尾さんはちょっと考えこんで、頭の中を整理するらしく、そして話しました。
村尾さんの娘の嫁入先のことです。
相良家の広い屋敷が、戦時中の空襲のため灰燼に帰し、その一部に相良家は自邸を新築し、残りの土地を分譲しまして、そこに六軒のこじんまりした家が建ちました。そのうちの一軒が、村尾さんの婿の今井さんの家です。
今井さんは、自分の家を建てるに当って、丹念に設計図を吟味しまして、迷信家ではありませんけれど、鬼門とか裏鬼門とかその他の方位についても、よろしくないとされてる世間的通念は避けたのでした。
そして家が出来上ると、田舎の方にいた母親を引取りました。その母親が、軽い脳溢血で寝込みました。これはやがて快方に向いましたが、今度は、女の児が耳の病気で病院にはいりました。これもやがて恢復しましたが、次には、妻が胸を病んで、未だにぶらぶらしてる始末です。
病気とか災難とかが重なることは、人生にしばしばあるもので、今井さんの家の事態も、そう簡単に片付けてしまえば、それで一向差支えないのですけれど、思いようではやはり気にかかります。
それからふと思い廻してみますと、そこの分譲地に建ってる六軒の家に、みな、ろくなことはありませんでした。一軒は、夜盗がはいって、奥さんの衣類をごっそり持ってゆかれました。一軒は、娘さんが虚弱で、学校も休みがちでした。他の三軒には、みな、肺を病んでる女人がありまして、今井さんとこと同様なのです。
村尾さんは溜息をつきました。
「ねえ、なんだかへんでしょう。」
A女は簡単な合槌をうって話を聞いていましたが、眼尻が少しつり上り、瞳が据ってくると、いきなり言いました。
「それは、地所の障りですね。」
言ってしまってから、A女ははっと気づきました。よけいなことを口に出したという、軽い後悔の念を覚えました。
「え、地所の障りといいますと……。」
村尾さんは真剣に問いかけてきました。他人さまのことならとにかく、自分の娘の嫁入ってる家がそこにありますし、娘がげんに病人の一人なのです。
A女は当惑しまして、なるべくぼんやりした調子を取ることにしました。
「どんなところか知りませんが、女ざわりの地所ではありませんかしら。」
「女ざわりの地所って、そんなのがあるものでしょうか。」
「世の中には、いろいろなものがありますからねえ。」
「女ざわりの地所……どうしてそんなことが、あなたにお分りになりますの。」
「いえ、ただふっと、そんな気がしただけですのよ。」
「わたくしには信じられませんわ。」
A女は口を噤んで、じっと宙を見つめていましたが、ぴくりと眉根を寄せました。
「お嬢さんは、いえ、お娘さんは、だいぶお悪いんですか。」
「そう悪いということもありませんが、どうしても微熱がとれないんですの。」
「まあせいぜいお医者さんの言うことをきいて、充分に養生なさるんですね。それが第一で、それから……そうねえ……。」
A女はしばし黙っていましたが、突然、言いました。
「その、地所内に、なにか祭ったものがある筈です。それから、大きな木を切り倒してあるはずです。御存じありませんか。」
「わたくしは聞いたことありませんけれど……。」
「そんなら、調べてごらんなさいな。」
「それからどうすれば宜しいんですの。」
「まあ急ぐことはありますまい。あとでまた申しましょう。」
地所の件についての話はそれきりになって、A女は辞し去りました。
それから中二日おいて、村尾さんは慌しくA女を訪れてきました。
座敷に通ると、村尾さんは、A女がお茶をいれようとするのももどかしそうに、いきなり言いました。
「ふしぎねえ、あなたが仰言った通りですよ。」
「いったい何のことですの。」
「そら、あの相良さんの地所のこと……。」
村尾さんはあれから、今井さんのところへ行って、A女の告げたことが本当かどうか、問いただしたのでした。
一つはすぐに分りました。相良家の屋敷の隅に、小さな稲荷の祠がありました。石を畳んだ土台の上に、木の御堂が立っております。戦災当時は樹木の茂みにでも護られたかして、焼け残ったのでしょう。その樹木もあらかた燃料に切られたらしく、今では雨曝しになっていました。そしてただうち捨ててありました。
も一つは、今は残っていませんでしたが、聞き合せて分りました。分譲地一帯は、ゆるい傾斜面になっていまして、今井さんの下手の家を建てる時分、そこに大きな樹の切株があったそうです。建築をするため、地ならしをする時、切株は取り除かれたのでした。
A女はその話を注意深く聞き終ってから、小首を傾げました。
「それだけですか。」
「ええ、二つとも確かにありましたわ。」
「も一つある筈ですがねえ。」
「どんなものですの。」
「なにか、捨て去られたもののようです。」
「それでは、も一度行って調べてみましょう。」
村尾さんはしみじみとA女の顔を見守りました。
「でも、まったくふしぎねえ、あなたにどうしてそんなことがお分りになりますの。」
A女はさりげなく笑いました。
「じつは、いくらか信仰の道にはいったことがありまして、今も修業は続けておりますが、なかなか思うようには参りません。ただ、申しておきますが、わたくしは、普通の行者とか占い師とか、この頃はやりの新興宗教の人とか、そういうのとは少しく違いますからね……。だから、というわけではありませんが、わたくしのこと、ほかの人には漏らさないで下さいね、お願いしますよ。」
村尾さんは一挙に言い伏せられたような風で、もう何も言いませんでした。
それから三日後、村尾さんの報告によりますと、第三のものも見出されました。相良家の屋敷から、道路を距てた、焼跡の草むらの中に、約四尺ほどの小さな石の地蔵が、ぽつんと立っていました。
さて、三つのものは発見されましたが、それをどうしたらよいか、村尾さんは尋ねました。
A女は最初に念を押しました。
「申しておきますが、御病人たちは、医療を怠りなさってはいけませんよ。それを充分になさらないと、どうにもなりません。わたくしの方のことは、霊界のことで、謂わば科学の蔭にかくれたことです。医療を充分になさりながら、これをなさると、宜しいんですけれど……さあ、どうですかねえ、なかなかむつかしいかも知れませんね。」
お稲荷さんを新たにお祭りすること――これは相良家にして貰えばよろしい。樹の切株のあった場所をお祓いして浄めること――これは神官でも僧侶でも行者でもよいが、然るべき人に頼んで、皆さんでなさればよろしい。お地蔵さんを新たにお祭りして世に出してあげること――これも然るべき人に頼んで、皆さんでなさればよろしい。以上の三つで、至極簡単なことのようでした。
村尾さんはもうすっかりA女の言うことを信じていましたから、早速、今井さんのところへ行って、夫婦に事の次第をうち明け、実行に取り掛るよう勧めました。
ところが、いざとなると、A女が言ったように、諸人の議がなかなかまとまりませんでした。身禄さんの時と同じでした。
今井さん夫婦は、村尾さんから説かれて賛成しましたし、他に賛成する者もありましたが、全然無関心な者もあり、強硬に反対する者も出て来ました。なにしろ、多少なりと金のかかることですし、常識的に見て迷信めいた事柄でした。迷信はすべて打破しなければならないというのが通念なのです。
それに、相良家の方でも、主人が旅行中で、交渉してみても、はっきりした返事が得られませんでした。
ただ徒らに日がたってゆきました。
村尾さんは様子を聞いて、A女に言いました。
「一向に話がはかどらないそうですよ。先に立ってやろうという人がないらしいんですの。」
A女は静かに答えました。
「おおかた、そんなことだろうと、わたくしも思っておりました。」
村尾さんには、A女自身までが冷淡なように見えました。
するうちに、事情が一変しました。相良家の主人が旅から帰って来て、右の話を聞きますと、稲荷さんを祭るのもよかろうと言いました。そんなことに何もこだわる必要はないし、屋敷内に祭ってあったものなら、新たに祭り直しても構わないし、ついては、どういう人か知らないが、村尾さんのお友だちとかいうその人にも立ち会って貰いたいが、その代り、樹の切株のことや、地蔵さんのことには、うちでは一切関係しない、とそう言うのでした。
分譲地の人たちの方でも、反対者を除いて、地所の祓い浄めをしてみようということになりました。だんだん調べてみると、切株の樹が茂っていた昔、その枝で縊死を遂げた女人があった由でした。
そして、相良家の稲荷さんは、新たに祭り直されました。A女は無理に頼まれ、名前は匿して、古い御堂の開扉の役をしましたが、中を調べてみますと、それは珍らしく、女夫稲荷だったのです。
地所の祓い浄めは、適当な人に頼んで、簡単になされました。
さて、地蔵さんのことですが、その地所の所有者は遠くに住んでいましたので、問い合せてみますと、地所は売りに出してありますし、地蔵さんは適宜に処置してほしい、との返答でした。なお、先方の言葉によりますと、あの地蔵さんは、たしか、祖母がどこからか拾ってきたもので、それ以来、うちの事業がたいへん繁昌したと、伝え聞いてるそうでした。
地蔵といっても、高さ四尺ばかりの自然石の表面を削り、台座を下部に残して、地蔵の姿を浮き彫りにしたものです。そして片わきに、奉○○院○○信女霊位、という文字が刻んでありますので、恐らく、墓碑を兼ねたもので、故人の冥福を祈って地蔵の姿を彫ったのでしょう。他の片わきに、壬辰天二月十四日、という文字がありますが、これだけではいつの頃のものやら分らず、石はだいぶ欠け損じていて、たいへん古いもののようです。
この石を、誰も始末しようとする者がありませんでした。そのことを村尾さんから聞いて、A女は自分でやることにしました。そこからさほど遠くない所に、以前から懇意な住職がいましたので、それへ相談しますと、寺の境内の空地を快く貸し与えてくれました。その寺は格式の高いものでしたが、戦災にあって、小さく再建されたばかりで境内は広々としております。
地蔵さんの供養の費用としては、相良家の分譲地の人々から志だけの金を集め、不足の分はA女が負担しました。住職の方でももとより金額などは問題にしていない事柄でしたから、少いながらもA女の見計らいによったのです。石を運ぶのには、分譲地の一軒に住んでる大工職のひとが、リヤカーと労力とを提供してくれました。
寺の石門をはいって、石畳の道を進みますと、左手に、経塚の碑が大きく建っており、新しく植え込まれた檜葉や呉竹の茂みがあります。その茂みのそばに、地蔵さんは安置され、花が供えられ、無縁仏のための塔婆が立てられました。
分譲地から来た数名の人々を後ろにして、老年の住職と、少しさがってA女とは声をそろえて読経しました。最初の開経偈と最後の宝塔偈との間に、妙法蓮華経のなかの、「方便品第二」と「如来寿量品第十六」が誦唱されました。
斯くして、地蔵さんはそこに落着きましたが、もとは無縁の墓碑を兼ねたものであったとしても、地蔵さんである限り、なにか名前がいります。A女は寺内の座敷で、老住職にお礼を言って対談していますうちに、ふと胸に浮んだものがありました。
「あのお地蔵さま、延命地蔵と申しましては、如何でございましょうか。」
「延命地蔵……宜しいでしょう。」
そこで延命地蔵と名づけることになりましたが、その本来の意味は、普通のものと少し違っています。その地蔵さんは、嘗てうち捨てられていたのを、あの地所の所有者の祖母に拾い上げられ、そしてまたうち捨てられていたのを、
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