んを、三年ほど前までは、ほとんど誰も顧みる者がありませんでした。塚全体が荒れはて、茅草や灌木が生え、といっても火山岩を畳みあげたものですから、気味わるい茂みを作るほどではなく、あたりの立木の蔭にひっそりとして、つまり、人目につかない状態のまま、うち捨ててあったのです。
ただ、江口未亡人とその娘さんとは、身禄さんのそばを通りかかる時、いつも、ちょっと頭を下げました。身禄さんを信仰するかどうとかいうのではなく、自然にそういう習わしになっていました。
戦後のこととて、寺の境内も墓地も、手入が行届いておらず、板塀や垣根なども壊れたままで、通行自由な有様でした。江口さんの家から大通りへ出るのには、墓地をつきぬけるのが一番の近道で、その近道のそばに身禄さんがあるので、そこを通りかかることが多かったのです。そして通りかかると、江口さんも娘さんも、何ということなしに、軽く頭を下げました。
ところが、その江口さんの家に、いろいろ思うに任せぬことがあったり、娘さんの健康がすぐれなかったりして、春の末頃から、江口さんはなんだか気持ちが沈みがちで、不安な影を胸うちに感ずるようになりました。
そのことを
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