取り掛るよう勧めました。
 ところが、いざとなると、A女が言ったように、諸人の議がなかなかまとまりませんでした。身禄さんの時と同じでした。
 今井さん夫婦は、村尾さんから説かれて賛成しましたし、他に賛成する者もありましたが、全然無関心な者もあり、強硬に反対する者も出て来ました。なにしろ、多少なりと金のかかることですし、常識的に見て迷信めいた事柄でした。迷信はすべて打破しなければならないというのが通念なのです。
 それに、相良家の方でも、主人が旅行中で、交渉してみても、はっきりした返事が得られませんでした。
 ただ徒らに日がたってゆきました。
 村尾さんは様子を聞いて、A女に言いました。
「一向に話がはかどらないそうですよ。先に立ってやろうという人がないらしいんですの。」
 A女は静かに答えました。
「おおかた、そんなことだろうと、わたくしも思っておりました。」
 村尾さんには、A女自身までが冷淡なように見えました。
 するうちに、事情が一変しました。相良家の主人が旅から帰って来て、右の話を聞きますと、稲荷さんを祭るのもよかろうと言いました。そんなことに何もこだわる必要はないし、屋敷内に祭ってあったものなら、新たに祭り直しても構わないし、ついては、どういう人か知らないが、村尾さんのお友だちとかいうその人にも立ち会って貰いたいが、その代り、樹の切株のことや、地蔵さんのことには、うちでは一切関係しない、とそう言うのでした。
 分譲地の人たちの方でも、反対者を除いて、地所の祓い浄めをしてみようということになりました。だんだん調べてみると、切株の樹が茂っていた昔、その枝で縊死を遂げた女人があった由でした。
 そして、相良家の稲荷さんは、新たに祭り直されました。A女は無理に頼まれ、名前は匿して、古い御堂の開扉の役をしましたが、中を調べてみますと、それは珍らしく、女夫稲荷だったのです。
 地所の祓い浄めは、適当な人に頼んで、簡単になされました。
 さて、地蔵さんのことですが、その地所の所有者は遠くに住んでいましたので、問い合せてみますと、地所は売りに出してありますし、地蔵さんは適宜に処置してほしい、との返答でした。なお、先方の言葉によりますと、あの地蔵さんは、たしか、祖母がどこからか拾ってきたもので、それ以来、うちの事業がたいへん繁昌したと、伝え聞いてるそうでした。
 地蔵といっても、高さ四尺ばかりの自然石の表面を削り、台座を下部に残して、地蔵の姿を浮き彫りにしたものです。そして片わきに、奉○○院○○信女霊位、という文字が刻んでありますので、恐らく、墓碑を兼ねたもので、故人の冥福を祈って地蔵の姿を彫ったのでしょう。他の片わきに、壬辰天二月十四日、という文字がありますが、これだけではいつの頃のものやら分らず、石はだいぶ欠け損じていて、たいへん古いもののようです。
 この石を、誰も始末しようとする者がありませんでした。そのことを村尾さんから聞いて、A女は自分でやることにしました。そこからさほど遠くない所に、以前から懇意な住職がいましたので、それへ相談しますと、寺の境内の空地を快く貸し与えてくれました。その寺は格式の高いものでしたが、戦災にあって、小さく再建されたばかりで境内は広々としております。
 地蔵さんの供養の費用としては、相良家の分譲地の人々から志だけの金を集め、不足の分はA女が負担しました。住職の方でももとより金額などは問題にしていない事柄でしたから、少いながらもA女の見計らいによったのです。石を運ぶのには、分譲地の一軒に住んでる大工職のひとが、リヤカーと労力とを提供してくれました。
 寺の石門をはいって、石畳の道を進みますと、左手に、経塚の碑が大きく建っており、新しく植え込まれた檜葉や呉竹の茂みがあります。その茂みのそばに、地蔵さんは安置され、花が供えられ、無縁仏のための塔婆が立てられました。
 分譲地から来た数名の人々を後ろにして、老年の住職と、少しさがってA女とは声をそろえて読経しました。最初の開経偈と最後の宝塔偈との間に、妙法蓮華経のなかの、「方便品第二」と「如来寿量品第十六」が誦唱されました。
 斯くして、地蔵さんはそこに落着きましたが、もとは無縁の墓碑を兼ねたものであったとしても、地蔵さんである限り、なにか名前がいります。A女は寺内の座敷で、老住職にお礼を言って対談していますうちに、ふと胸に浮んだものがありました。
「あのお地蔵さま、延命地蔵と申しましては、如何でございましょうか。」
「延命地蔵……宜しいでしょう。」
 そこで延命地蔵と名づけることになりましたが、その本来の意味は、普通のものと少し違っています。その地蔵さんは、嘗てうち捨てられていたのを、あの地所の所有者の祖母に拾い上げられ、そしてまたうち捨てられていたのを、
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