、女将さんは手広く商売をしたいと考えなすってるようですが、それはだめですね。まあ一室ずつ建て増しでもして、手堅くやることですよ。」
 そこで二人とも、へんに黙りこんでしまいました。A女の方では、由ないことを言ったものだと、後悔の念がきざしたのです。小泉さんの方は、互に知り合いである村尾さんから、A女の隠れてる半面をちらと聞きかじっていましたので、A女の今の言葉を胸に味ってみたのです。
 やがて、A女はさりげなく笑いました。
「よけいなことを言って、御免なさい。ちょっと、そんな気がしたものですから……。」
「なに仰言るのよ。松しまのことなんか、わたくしは何とも思ってはいませんわ。」
 そして、話は他のことにそれました。
 ところが、あとで、小泉さんは達吉に、A女の言ったことを伝えましたし、達吉はそれをまた、何かのついでに、松しまの女将の耳に入れました。
 それだけならば、なんのこともなかったのですが、小泉さんは次の機会に、松しまの噂をまたもしました。達吉から聞いたことも伝えるという、それ以外に他意はなかったのでした。とにかく、女というものはお饒舌りなものです。
「達吉が女将さんから聞いたところによりますと、やっぱり、資金の話は、今年中にはまとまりそうもないらしいんですの。そして、手堅くやってゆくことに、女将さんも賛成らしいんですよ。」
「そうでしょうとも、それがほんとうですわ。」
 それはただ軽い応対でしたが、A女はそのあとで、忠告するように言いました。
「あのうちには、熱心に信仰したものがあるはずですよ。それが今はうっちゃってあります。も一度信仰なされば、きっとよいことがありますでしょう。どうやら、伏見稲荷のように思われますがね……。」
「そのこと、達吉に聞かせてみましょうか。」
 A女は夢から覚めたようにびっくりしました。
「いけません。そんなこといけませんよ。どうか内緒にしといて下さい。わたくし、ちょっと思いついただけですもの。」
 A女はよく念を押しておきました。
 けれども、小泉さんにとっては、そんなこと、大したことでもありませんでしたが、また、ちと気にかかることでもありましたので、達吉に話してしまいました。
 すると、達吉はたいへんな頼みごとをもたらしてきました。
 松しまでは以前、伏見の稲荷さんを祭って信仰していました。戦災後はそのままになっていましたが
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