ても、高さ四尺ばかりの自然石の表面を削り、台座を下部に残して、地蔵の姿を浮き彫りにしたものです。そして片わきに、奉○○院○○信女霊位、という文字が刻んでありますので、恐らく、墓碑を兼ねたもので、故人の冥福を祈って地蔵の姿を彫ったのでしょう。他の片わきに、壬辰天二月十四日、という文字がありますが、これだけではいつの頃のものやら分らず、石はだいぶ欠け損じていて、たいへん古いもののようです。
この石を、誰も始末しようとする者がありませんでした。そのことを村尾さんから聞いて、A女は自分でやることにしました。そこからさほど遠くない所に、以前から懇意な住職がいましたので、それへ相談しますと、寺の境内の空地を快く貸し与えてくれました。その寺は格式の高いものでしたが、戦災にあって、小さく再建されたばかりで境内は広々としております。
地蔵さんの供養の費用としては、相良家の分譲地の人々から志だけの金を集め、不足の分はA女が負担しました。住職の方でももとより金額などは問題にしていない事柄でしたから、少いながらもA女の見計らいによったのです。石を運ぶのには、分譲地の一軒に住んでる大工職のひとが、リヤカーと労力とを提供してくれました。
寺の石門をはいって、石畳の道を進みますと、左手に、経塚の碑が大きく建っており、新しく植え込まれた檜葉や呉竹の茂みがあります。その茂みのそばに、地蔵さんは安置され、花が供えられ、無縁仏のための塔婆が立てられました。
分譲地から来た数名の人々を後ろにして、老年の住職と、少しさがってA女とは声をそろえて読経しました。最初の開経偈と最後の宝塔偈との間に、妙法蓮華経のなかの、「方便品第二」と「如来寿量品第十六」が誦唱されました。
斯くして、地蔵さんはそこに落着きましたが、もとは無縁の墓碑を兼ねたものであったとしても、地蔵さんである限り、なにか名前がいります。A女は寺内の座敷で、老住職にお礼を言って対談していますうちに、ふと胸に浮んだものがありました。
「あのお地蔵さま、延命地蔵と申しましては、如何でございましょうか。」
「延命地蔵……宜しいでしょう。」
そこで延命地蔵と名づけることになりましたが、その本来の意味は、普通のものと少し違っています。その地蔵さんは、嘗てうち捨てられていたのを、あの地所の所有者の祖母に拾い上げられ、そしてまたうち捨てられていたのを、
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