り込まれて、にこにこ笑い出すと、子供達の方から私になずいて、私の側に寄ってくるじゃありませんか。根津権現の中には、いつも大勢子供が遊んでいますよ。女の子も沢山います。私の家へよく泊りに来たものです。」
 そして彼はまた、斜め向うの女の子を眺め初めた。
「そんなに子供がお好きでしたら、」と私は云ってみた、「一人拵えるか貰うかしたらいいじゃありませんか。」
 然し彼はもう私の言葉に返辞もしなかった。子供の方を一心に眺めながら、時々変な独り笑いを洩らしている。私も仕方なしに黙り込んで、列車の響きに耳を貸したり、車室の中をぼんやり見廻したりした。向うの隅で一人すぱすぱ煙草を吹かしてる者を除いては、大抵皆いぎたなく居眠って、空気はどんよりと濁っていた。
 だいぶたってから、彼が不意に飛び立ったので、私は喫驚して眼を見張った。彼の見つめてる方を見ると、向うの女の子が寝返りでもしたらしく、向う向きにつっ伏していて、母親が半ば眠りながら本能的な手付で、その背中を無心に軽く叩いていた。男はつっ立ったままその方を見ていたが、やがてがくりと座席に腰を下して、マントの襟に顎を埋め、両手を胸に組み、眼を閉じて、いつまでたっても動かなかった。私は長い間、その狂人とも常人とも分らない男を、陰鬱な気持で見守っていたが、変に不気味な圧迫を感じてきた。恐らく彼は、私や他の凡ての乗客を棒杭のように思って、そして自分も棒のようにじっと坐り込んだのであろう。
 汽車はもうとくに盛岡を通過していた。隧道《トンネル》にさしかかると魔物のような音を立て、全速力で走っているらしかった。私は窓の硝子の曇りを指先で拭いて、外の景色を透し見たが、ただ暗澹とした夜だけで、何一つ眼にはいるものもなかった。私はまた空気枕に頭を押しあてたが、変に不安な気持に頭が冴えて、なかなか眠れそうになかった。前の腰掛の男は、眠ってるのか覚めてるのか、先程の通りの姿勢で、棒のようにじっと坐っていた。私はそれをまた長い間見守っていたが、眼に疲れを覚えてくると、ぐるりと横手へ向きを変えて、腰掛の背にもたせた枕へつっ伏した。そしていろんな幻を見たようだったが、いつしかうっとりと寝込んだらしい。
 私が眼を覚した時には、もう白々と夜が明けていた。車室の中がざわめいているのに、喫驚して身を起すと、汽車は浅虫を出たばかりの所だった。もうじきに青森だなと思
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