った、などということがいつも自慢話に持ち出されました。自慢話ですから、もとより、現在の富裕がその裏付けとなっていました。
 その集りが、空襲のために一年とぎれて、終戦の翌年に復活したのです。
 中山敏子は母に連れられて、午後早く副島さんの家へ行きました。いつも夜の組だったのが昼間になったこと、いつもより入念にお化粧をさせられたこと、来客もまだ少いのに座敷へ行かせられたこと、その他いろいろな気配で、敏子は例の縁談に関係があるのを悟りました。
 十畳と八畳とをぶちぬきの広間には、伯父さん伯母さんの外、四五の客人きりでした。そのうちの一番若い人が当の筒井直介であると、敏子は悟りました。ふしぎなことに、お互の紹介は最後までなされませんでした。
 あとで、母は言いました。
「あの時の一番若いかたが、筒井さんですよ。どう思いますか。」
 敏子はいたずらそうな眼付をしました。
「それは、お母さま無理よ、どうとも思いようがないんですもの。」
 答えは、縁談についてでありまして筒井直介その人については、敏子はいろんな発見をしていました。
 彼は、人形のようにまとまった人でした。きっちり体に合った背広服を
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