―ばかばかしい。何もかも軽蔑して、打ち捨ててしまおう。
 敏子は子供のような気持ちに還りました。そして旅行の仕度をはじめました。簡単な手廻りの品だけで充分でした。
 五月五日の朝、敏子は母にはっきり返事をしました。
「お母さま、御心配かけましたけれど、副島の伯母さまの方へは、あのお話、断って下さいませんか。どう考えても、気が進みませんのよ。」
 母はもう諦めていたというような表情をして、それでも深く溜息をつきました。
 兄が側で聞いていて、感心したように言いました。
「調子は甘ったれていて、文句はきっぱりしていて、上出来だな。」
 敏子は兄を睨んでみせました。
「お兄さまこそ、それが分ったのは上出来だわ。」
 兄は笑い、母は呆気にとられていました。
「旅行の仕度はいいのかい。」
 と兄は尋ねました。
「ええ洋子さんが、汽車の切符から何もかも、すっかり整えて下すったわ。帰りには、洋子さんと同じように、ヤマメの干したのをおみやげに持ってくるわ。」
 そして敏子は、青い空と日の光りとを仰ぎ見ました。



底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「人間」
   1946(昭和21)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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