った、などということがいつも自慢話に持ち出されました。自慢話ですから、もとより、現在の富裕がその裏付けとなっていました。
 その集りが、空襲のために一年とぎれて、終戦の翌年に復活したのです。
 中山敏子は母に連れられて、午後早く副島さんの家へ行きました。いつも夜の組だったのが昼間になったこと、いつもより入念にお化粧をさせられたこと、来客もまだ少いのに座敷へ行かせられたこと、その他いろいろな気配で、敏子は例の縁談に関係があるのを悟りました。
 十畳と八畳とをぶちぬきの広間には、伯父さん伯母さんの外、四五の客人きりでした。そのうちの一番若い人が当の筒井直介であると、敏子は悟りました。ふしぎなことに、お互の紹介は最後までなされませんでした。
 あとで、母は言いました。
「あの時の一番若いかたが、筒井さんですよ。どう思いますか。」
 敏子はいたずらそうな眼付をしました。
「それは、お母さま無理よ、どうとも思いようがないんですもの。」
 答えは、縁談についてでありまして筒井直介その人については、敏子はいろんな発見をしていました。
 彼は、人形のようにまとまった人でした。きっちり体に合った背広服を着て、真直を向いて坐っていました。左右に体をねじ向けることはなさそうでした。白い上向な顔立で、額にかすかな一抹の蔭がありました。その蔭が、顔の表情を抑制して、端正なものにしてるようでした。笑う時にも、声から眼色から顔面の動きなどに、きまった限度があるようでした。心臓の鼓動も常に調子がととのってるに違いないようでした。そしてそれらのことが彼の身にぴったり附いていて、彼は決して眉をひそめることもなく、退屈することもなく、穏かな自足の気持ちでいるようでした。
 副島の伯父さんは、時々、彼の方へも言葉を向けました。彼は自分から話をしだすことはありませんでしたが、他から話を向けられると、当り障りのない中庸を得た返事をしました。つまり、なるべく率直な調子でなるべく何事も言わないという要領を、よく心得ているようでした。けれどこのことについては、敏子にはよく分りませんでした。政治のことや、経済のことや、法律のことなど、しかも敏子にはあまり関心の持てない事柄が、主な話題となっていました。その合間には話題もくだけて、魚釣りのこと、競馬のこと、碁将棋のことなども、持ちだされましたが、そのどれに対しても、彼は
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