で待ち伏せしてるようね。」
 そのあとで、洋子は駆けだしました。彼方から、二人の青年がやって来ました。洋子は振り向いて、敏子を手招きしました。敏子はゆっくりと、真直に歩いてゆきました。
 洋子はもう、二人の青年と話をしていました。その一人が保科哲夫であると、敏子にも分りました。
 無帽で、縮れた長髪、眼鏡の奥から、更に奥深い眼が光っていました。少しくだぶついたズボンに、きちっと引きしまった上衣で、背の高い痩せた体でした。その方へ、敏子は真直に歩いてゆきました。気怯れも気恥しさも感ぜず、ただ夢の中のような心地でした。
 保科哲夫は、左手を少しあげかけて、またそれを下し、立ち止って、敏子をじっと見ました。
「あなたが、あの時の中山さんですか。ちっとも変りませんね。いや、ずいぶん大きくなりましたね。」
 その時敏子は、彼が少し酔ってるのを見て取りました。
「よく来ましたね。あなたも会員におなりなさい。秋田さんが黙っているものだから、僕はあなたのことをちっとも知らなかった。さあ行きましょう。あとでゆっくりお話しましょう。愉快ですよ、僕たちの会は。作法だけを心得てる赤裸な野人、そういう人間ばかりの集りですよ。」
 洋子とも一人の青年とが先にたって歩き、敏子は保科と並んで歩きました。保科は振り向きました。
「兄さんも、御両親も、お丈夫ですか。」
「ええ、いっしょにおりますの。」と敏子は答えました。
「どこにお住居ですか。」
 敏子は所番地を言いました。保科は足を止め、手帳を取り出して、それを書きとめました。
「近日中にお伺いしましょう。」
 その時、敏子は自分でも識らずにでたらめを言いました。
「五月五日から先は、旅行に出かけるかも知れませんの。」
「え、どこへ行くんです。」
「まだはっきりしませんけれど、五月五日ときめていますの。」
 後になっても、敏子はどうしてそんなことを言ったのか自分で腑に落ちませんでした。ただ、その時も、後になっても、五月五日というのが前々から決定している期日だったような、へんな感じに囚えられていました。
 保科はじっと敏子の顔を見て、それからまた歩きだしました。ビルの入口で、彼はまたちょっと足を止めて、敏子を眺めました。敏子は保科の方を見ずに、眼を宙に据えていました。
 狭い階段を上って、会場の入口まで来ると、もう中では何か初まっていることが分りまし
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