か、港に来る筈の船も姿を見せず、長江の流れも荒ら立って見え、町中の人々が戦々兢々たる有様でありました。
 その不安なさなかで、張家では、ささやかな小人数ながら、豪奢な宴席が張られました。張一滄の一人娘の幼明の誕生日を祝うためでありました。
 張一滄に自慢のものが三つありました。一つは、前に申しました楠の大木でありました。も一つは娘の幼明でありました。今年十八歳になるところの、評判の美人で、楊柳の趣きを持った楚々たる風姿、そのしなやかな細そりした腰部と円熟してきた臀部の肉附とは、見る人の眼をうっとりさせるものがありました。他のも一つは、張一滄自身の食欲でありました。多食と美食とで豚のように肥え太りながら、老来ますます健啖で、二三日に亘る長夜の宴にも、最後まで踏み止まるだけの力を持っていました。
 珍らしい大雪のあとで、楠の大木の梢からは、雪なだれが時々、地響きをさせて落ちていましたが、そして危急な風説は次第に確実なものとなっていましたが、張一滄は何か信ずるところあるらしく、幼明の祝宴を張ったのであります。
 張家は旧家で大家でありますから、同じ屋敷内に住んでる家族も多く、町の有力者や幼明
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