の友だちが、身辺のことに慴えて大抵早めに辞し去った後も、そして内々のささやかなものとして催された宴ではありましたけれど、なお相当な賑かさで、二日目の夜まで続きまして、幼明の母親が二年前に病歿して席にいない淋しさも、殆んど目立たないほどでありました。
 食卓の料理の皿はいくら食い荒らされても、また次々に運ばれてきました。鹿鞭《ろくべん》の汁の甘美さや、銀茸《ぎんこ》のなめらかな感触や、杏仁湯の香気などが、くり返し味われまして、七面鳥や家鴨や熊掌《ゆうしょう》などは、もう箸をつける者もなく冷たくなっていました。本場紹興酒の大彫《たあちあん》が、汲めども尽きぬ霊泉となりました。
 男の人たちは拳《けん》の勝負に夢中になってるのもあり、女の人たちはうとうとしてるのもあり、ただ一滄だけがいつまでも杯を手にしていました。幼明はただ朗かな様子で、宴席から出たりはいったり、小鳥のようにまた王女のように自由自在な振舞をしていました。

 張一滄の様子には、初めの泰然たるさまにも拘らず、次第になにか苛立たしい憂鬱の曇りがかけてきました。下僕の一人が、一枚の紙片を持って来ました時、それを読み下した彼の手は、明らかに震えました。彼はその下僕にいいました。
「朱文が帰ったかどうか、見て来い。帰っていたら、すぐ連れてくるんだ。」
 その朱文は、前日の宴席の初めにちょっと列したきりで、一滄になにか囁いて退席してから、そのまま姿を見せなかったのです。そのことから、誰も皆、内心では異常なものを感じ取りながら、素知らぬ様子をしているのでありました。
 だいぶたってから、先程の下僕が現われて、朱文が帰ってきたことを告げると、張一滄はいくらか眉根を開いたようでしたけれど、朱文自身がなかなかやって来ませんので、その眉根には或る激しい色が濃く漂ってきました。
 そこへ、幼明がやって来て、静かにいいました。
「お父さま、なにか御心配なことでもありますの。」
 一滄は酔眼をぱっと開いて、泣くような笑顔をして、掌で上唇の髭をなでました。
「いやなんでもないよ。少し酔いすぎたようだ。」
 その顔を、幼明はじっと眺めて、また静かにいいました。
「朱文さんを、あまりお叱りなすってはいけませんわ。」
 一滄の眼に、ぽつりと涙が浮んで、彼はただ、無言のうちに幾度もうなずきました。それからまた酒杯を手にしました。

 朱文が、
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