硝子の瓶や、くすんだ色の陶器の瓶などが並んでいて、グラスが四つほど、とろりとした緑色の液や透明の液を、一杯湛えていました。
彩紅はそのグラスの一つを一息に飲み干して、いいました。
「いつ、お発ちになるの。」
「さあ、いつでもいいが……。」と朱文は言葉を濁しました。
「でも、夜ね。」
「なぜ。」
「あれがあるから。」と彩紅は二挺の銃の方を視線で指しました。
その時、朱文はふいに彩紅の方へ振向いて、じっとその顔を見ながらいいました。
「どう、も一度考えなおして見ないかい。」
「なにをなの。」
「僕と一緒に行ってしまうということだよ。」
「だめ。此処でならいいけれど、どうせ私は、あなたの邪魔になるばかりだこと、はっきり分ってるわ。此処で…… もう五年にもなるのね。あたし、五年の間に、一生を生きてしまったと思えば、それでいいの。」
「然し、僕が発ってしまった後は、どうするつもりだい。」
「どうするって、もう一生を生きてしまったんですもの。」
「だってまだ君は……。」
「もう生きてしまったの。」
ぽつりといって、彩紅は朱文の胸に顔を埋めました。
朱文はじっと宙に視線を据えていましたが、ふいに、その顔から血の気が引いて、崇高ともいえるほどの蒼ざめた顔になりました。
彼は静かにいいました。
「僕は、どうあっても、君を連れて行くよ。」
彩紅は黙っていました。
「君はさっき、僕が此処から出発するのは、張幼明さんをもてあましたか、あの楠がもう嫌になったか、どちらかだろうといったね。だが、僕自身にもよく分らなかったが、そうではないんだ。張幼明さんのことは、父親の意向がどうであろうと、僕たち当人同志の間が、なんでもないのだから、問題にはならない。ただ楠のことは、本当に僕の心にかかるものなんだが、あれが嫌いになったんではないよ。ただなんとなく、あれを持てあますような気持になってきただけだ。あの大きい樹を見ていると、胸に抱いていると、こちらが、自由に身動きできないような気持になってくる。あれを張一滄さんから今日貰い受けてしまったのも、打捨てようとどうしようとこちらの勝手だと、まあ自分に自由がほしかったんだね。考えてみると、僕はまだ弱かった。ところが、君は楠とは違うんだ。君なら、生涯荷って歩いても、胸に抱いて歩いても、大丈夫だとの自信がもてる。僕にはそれくらいの力はあるよ。だから、ど
前へ
次へ
全11ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング